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2010年 06月 08日
朝起きてまず気になるところから手当りしだいに ココロの赴くままに制作。 上の写真は金彩を焼きつける前の作品の一部。 絵柄の中の茶色い部分が焼成後、金になります。 早起きの時でも遅起きの時でもいつも朝食は食べないので、 気付いたら午後2時頃にその日最初の食事とるのがパターンになってしまっている。 うーん身体によくないかも。。 植木の植物達の世話もここのところ手抜き状態。 私の目がゆき届かない現状をいい事に、 母親がいい加減にもらってきた植木を増やしている。 (母は自分で世話をしないので、 勝手に私の植木達の中に紛れ込ませている。。まるでカッコーの托卵。) そんな風に勝手にいつのまにか増えていたスズランが7株。 育て方よくわからないので、水だけじゃーじゃーあげていたら、 花が咲いて居た。 スズランだとかユリの花の薫りは何か生々しい感じがして あまりすきではないのだけど、花弁は可愛いなぁ。 ワルツでも踊っているみたい。 ブルーベリーの花に似ているけど、よりガーリーな感じ? ふっと気づくと レモンマートルの木にも沢山の花の蕾みがついていた。 レモンマートルって 花が咲くんだ! サボテン、お前もか。 #
by MAJO_ceramica
| 2010-06-08 18:29
| ふとおぼえがき
2010年 06月 07日
お昼ご飯を食べながらNHKののど自慢を何とは無く見ていたら
80才のおじいさんがきりっと直立不動で歌われて居られた歌が妙に心に残りました。 *********************************************** 「アカシアの雨が止むとき」 アカシアの 雨にうたれて このまま 死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる 朝の光の その中で 冷たくなった わたしを見つけて あの人は 涙を流して くれるでしょうか アカシアの 雨に泣いてる 切ない胸は わかるまい 思い出の ペンダント 白い真珠の この肌で 淋しく今日も 暖めてるのに あの人は 冷たい瞳をして 何処(どこ)かへ消えた アカシアの 雨が止む時 青空さして 鳩がとぶ むらさきの 羽の色 それはベンチの 片隅で 冷たくなった 私のぬけがら あの人を さがして遥かに 飛び立つ影よ *********************************************** 歌舞伎など見ていても感じますが 日本人にはよくも悪くも死を美化する文化がかつてはあった、と思う。 しかしそれは同時に、生を美化することでもあったように思っている。 死と生はいつでも表裏一体のものだから。 それを身近に感じ、おそらく今よりも理解していた時代の人々の物語。 現代でも死という現象は昔と変わらず依然として存在しているけれど、 日本において死という概念が、 昔に増してひとそれぞれのようになってきている、、というか いやむしろ日常のなかで死という概念すら持たないで暮らすのが 当たり前のような風潮になっているというか。。 しかし、そのひとが死をどのようにとらえているかということで、 究極には生き方まで変わってくるのだ。。。と思う。 とりわけ、死というものを積極的に扱った作品への 感想がひとそれぞれなのもそういう所以なのだと思うのだけれど。 「ラ・マンチャの男」というミュージカルにこんな台詞がある。 『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。 ……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。 彼らはみな、うつろな目をして、 おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。 いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。』 そうしてしかし、つまるところ 『なぜこうして死んでいくのか』はイコール 『いままでこんな人生なんのために生きてきたのか』 なのだと思う。切り離せないものだと思う。 一昨年、映画館で「崖の上のポニョ」という映画を見たときに、 リアルな死の陰の描写(持ち主のいなくなった水際の車いすだとか、 運転手の消えた乗り捨てられた車の描写の仕方など)に少し驚き また唐突な印象の物語の終わり方にきょとんとしてしまったのだけれど、 今になって、おそらく、わかったことがある。 まずあの映画で伝えたい事を伝える為には、 見ている側に「死」というものを感じ取ってもらわなければならなかった。 そして、おそらくあの映画の終わらせ方は、 生を感じさせるものでも、 死を感じさせるものでも、 どちらでも同じ、どちらでもよかったのではないかと。 後日ラジオを聞いていたら、この映画の監督・宮崎氏が 『ポニョの主題歌にふさわしい終わらせ方にした。』と語っていた。 あの主題歌があったからあの終わらせ方を選んだ、というだけで、 あの物語にとって終わり方というのは、 生でも死でもどちらでもたいした違いはなかったのではないか、と この話をきいてますますそう感じたのでした。 生まれる前にも何か続いてきたものがあったのかもしれないし、 死んだあとにも何か続いてゆくものがあるのかもしれないし、 生まれてくる場所と死んで行く場所は同じかもしれないし、 その生き方、死に方によって違う場所になるのかもしれないし。。。 そんな繰り返しを気の遠くなるほど繰り返しているわけで、 その長い長い生と死のつながりのほんの一部分を すくい取った散文詩があの映画だったのかなぁ、とふっと気づいたとき、 ああ、やはりここにも生=死があるなぁ、と思い、 そうしたら、ちょっとあの映画が好きになったのでした。 #
by MAJO_ceramica
| 2010-06-07 14:27
| ふとおぼえがき
2010年 06月 05日
いそがしすぎたのか、まんまと発熱。
昨日は、川口のアクタさんへ「ねこまつり」の搬出に行って居りました。 おせわになったオーナーさん、この展示会にお誘い下さった岡野慶子さんと いろいろなお話がとびだし、搬出とは言いつつもたのしい時が過ぎて行ったのでした。 さて帰宅後、喉が痛い。 おしゃべりのしすぎ?とおもっていたら、みるみる腫れる。 ここのところ体力的にも頭脳的にもずっといそがしかったので、 食事の時間も睡眠も満足にとれていなかったので、 たぶん免疫力もだいぶん落ちていたのかも。 ひさびさに満員電車にゆられて 川口への往復中にウイルスでももらってきたのかも。 ともかく、喉の痛みと発熱で今日の予定をキャンセル。 本心を言うと、発熱はちょっとありがたい。 忙しいと肩から背中から腕からの筋肉がぎゅうっと緊張して固くなり、 身体の柔軟性が失われるのだけど(こういう状態の時、ぎっくり腰など 最もけがをしやすい状態なので注意していたのだけれど)、 正直なところ、もはやどうやったら肩や首の力が抜けるのか分からなくなっていた。 たいてい熱をだすと、筋肉が緩むので、 やはり身体は限界を察知したようです。 身体がまだ正常に反応してくれたことに、 はっとしたり、ほっとしたり。 今月はこれからどんどん忙しくなってゆくので、 今日は無理せず休みましょう。。 #
by MAJO_ceramica
| 2010-06-05 10:59
2010年 06月 04日
個展のDMをそろそろ印刷にまわさねばという頃。
窯出ししたての作品を載せたくて本焼きを待っていたので 本当にぎりぎりになってしまいました。 今日は、窯出し、撮影、DMのレイアウトと1日でこなし、 今回の展示の企画の三省堂さんに原稿を確認して頂き、 オッケーをもらって、即、印刷会社へ送信。 まる1日がかりでしたが、 思えばこれが全て1日でこなせるなんて20年前は考えられなかった〜。 窯だし作業は昔も今もアナログですが、 それ以降の作業は、パソコンの利便性を認めざるおえません。 撮影だって、昔はフィルムを現像しなきゃならなかったし、 レイアウトだって、写植打って紙の版下作って、 そうやって作った原稿は、 電車に乗って印刷会社に手渡しか郵送。 なんて感慨にふけっていたら、 原稿に使った写真の保存形態がめちゃくちゃだったという事に気付く。 なんでもフォトショップepsとやらの形式にせねばならなかったらしい。 解像度もたりなさそうな感じ・・。 うーん。わからん。 やっぱりパソコンはわからん。 まっ、いいか。 DMは日にちと時間と場所さえ間違ってなければ良いのだ。(ホント?) まっ、印刷できない程のミスなら、連絡がくるでしょう。 アハ。 #
by MAJO_ceramica
| 2010-06-04 02:05
| 陶/準備・その他
2010年 06月 02日
図書館で、お箸についてのいろいろが学べそうな本を気晴らしにと借りてきた(写真が沢山でページ数も少ないので読み易そうと思った)のだけど、面白い。
まだ読み途中なのですが、三田村有純著「お箸の秘密」。 『お箸は中国から入ってきた』と、敗戦国日本の色濃い影響による説を今だ言い続ける学者さんもいるようですが(中国ですら信ぴょう性が低いと言われている書物「魏志倭人伝」にでてくる卑弥呼をさも日本の歴史上重大な人物のように取り上げるのと同じ体制でしょうか、、) そういった戦後における日本史上の偏見・ねつ造をぬぐいさって、日本と中国の考古学の認定基準の性質の違いなどのお話も交えて、この本ちょっと勉強になります。 たとえば、日本の考古学の規定では、自然物にほんのすこし手を加えただけというものは、考古学研究には値しない遺物として仕舞われて永遠に放置されてしまうのだとか。 つまりそうなっているのが、日本で発掘されたお箸ということ。 日本では、すでに縄文時代の遺跡からじつは箸はみつかっていて、自然木の枝先をほんの少し細く削った物だった。つまり、日本の考古学上、これは研究に値しない物として、日本の箸の遺物として今までまじめに調査されたことがないのだそうだ。なので、この本の著者・三田村氏は現在、縄文時代の発掘物ばかりを重点的に調べているそうです。 中国で世界最古のお箸と紹介されているのと同じ物が、それより古い時代に日本列島で発見されているのです。今まで日本の考古学界でそれらは髪飾り(かんざし)もしくは魚を刺す銛(モリ)のようなものと認定されてきたのですが、それとまったく同じつくりの物が中国の考古学界では箸だと認定されているのだとか。 三田村氏は漆の専門家で、芸大教授、中国中央美術学院客員教授、日展評議員、現代工芸協会評議員などなどそうそうたる肩書きを持っておられますが、この方が「6500年前の日本に箸があった」と発表したところ、それに対して中国サイドが「中国では7000年前からあった」と発表してきたのだとか。 張り合えるもんじゃなかろうに・・・中国考古学のいい加減さが露呈したような。。こんな話を聞いただけでも、そもそも箸が中国から入ってきたという説自体が、かなり怪しいものに思えてしまうのですが。 箸にかぎらず日本の文化は、陶芸界では加藤唐九郎さんも著作に書いているように、 一方的な受動態ではなく、中国など近隣の国とのいったりきたりで、両国互いに影響を与え合って各地で熟成して行った、というのが正解なのでしょう。そもそも縄文時代=遅れている、という発想に疑問を持つ学者さんも出てきているそうですし。 日本の縄文人は精神文化の面では世界的にもかなり発達していた人種だったのでは、という仮説に基づいて、経済発展や物質主義とは違った基準からの研究がすすめられているそうです。 物質至上主義が崩壊しはじめた現代の先進国となった日本だからこそ、やっとこういった考えを持つ研究者が出来てたのではと想像されます。 上記の6500年前というのは陶芸界の見地からも信ぴょう性のある年数だなぁ、と思いました。なぜなら日本で見つかった世界最古といわれている土器は6000年以上前のものだと言われているのです。 これで器とお箸、そろいますね、縄文人さん! *** この本の冒頭では、大和言葉の音からもハシをみています。 ハ=異界のものを取り入れる最初の機関。 ものの先端にあり、何かの入り口、出口であり境目である。 箸、橋、端、鼻、山の端、花、柱、梯子、などなどハの使われた言葉の持つ意味について。 シ=止まる、固まる、つなぎ止める ハシ=遠くにある異界のものと、自分を含むこちらの部分をつなぎ止める ちょっとだけでもこういったことを頭に入れておくと、古事記の中にいろいろな形でてくるハシについてまた一考してみようと思ったりするのです。八岐大蛇の段の最初で、おもむろに川から箸が流れてくるのは、川上に人家があるという事だけでなく、もっと深淵な意味が含まれているのだと思います。 いや、やっぱり日本の文化や民俗学を勉強していると古事記にもどってゆくなぁ。 いとおもしろし、です。 #
by MAJO_ceramica
| 2010-06-02 20:30
| 見るもの聞くもの
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