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2007年 11月 29日
私がスペインに移り住んだばかりの頃、得体の知れない東洋人に、現地の村の人たちは本当にいろいろ親切にして下さいました。もし私が逆の立場だったら同じ事ができるだろうか?
移住したてのころ、業者の手違いで住むところが決まらず安ホテル暮しを強いられていた私に、今では一番の親友となったスペイン女性が、それでは生活が不便だろうからと、空き家をさがしてくれ、数件下見に連れて行ってくれ、大家さんと交渉し、文書を作成し、、、すべて整えてくれました。すべて彼女の好意で。 住むところのない状態で渡西したのに入国の10日後にはもうアパートに住む事が出来ました。 アパートに引っ越して最初の日曜日、『お掃除しよう!』とバケツとぞうきんを持って彼女は家にやってきてくれました。その後まずは日用品が必要でしょうと、一緒にスーパーまで付いてきてくれ、そして慣れない異国でどういうものが必要なのか店内にならぶ商品をひとつひとつ説明してくれ乍ら当座に必要な雑貨をピックアップ。ふたりでものすごい荷物を抱えてアパートへ帰ったのでした。 彼女は自分の仕事の時間を割いて、まだ小さな二人の子供もいるのに、私がスペインに住むために、馴染めるようにと本当にいろいろな手助けをしてくれたのです。 ここで私は、なんだか彼女にそこまでしてもらって申し訳ないな、と思い『ごめんね。』と言いました。 すると彼女は言いました。 『私はあなたがここにいて居心地の良いようにと思ってしていることなの。だからそれに対して謝られたくないよ。ごめんね、なんて言われたら、なんだか残念だよ。』と。 そうか。 ここで『ごめんね』というのはおそらく日本人的な心持ちとしてなのだ。 でもおそらくスペイン語でいうところの”ごめんね”という単語と 私が言いたかった”ごめんね”のニュアンスは微妙にちがうのだ。 それ以来、私はごめんね、ではなく素直に『ありがとう』と言うようになった。 ------------------------ この話を先日喫茶店で友人達(日本人)に話していた時、友人の一人が言いました。 『それって”かたじけない”ってことだよね。』 うまいっ! それだ。 あの時の「ごめんね」は陳謝のごめんね、ではなく、かたじけない、という気持ちだったのだ。 さて、かたじけない、とスペイン語に訳すとどうなるか。 まったく同じ単語はスペイン語にはないだろう。 だからやっぱり”graciasありがとう”って言おう。 言葉って難しいけれど、こんな事でもなければこんな風に深く考えることもなかったと思う。ごめんね、と かたじけない、と ありがとう。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-29 18:45
| スペイン
2007年 11月 28日
祖父が亡くなりました。
90才だったとのこと。 祖父とはもう20年以上も会っていなかったので正直実感に乏しいのですが。。。 美濃の窯元だった祖父の家の敷地内には陶工房(祖父は「工場」と呼んでいた)があり、幼少の頃は祖父の家に遊びに行く度に粘土で何やら作らせてもらっていたのを思い出します。 私が学生の頃は、「都会が好き」という祖父がたまに東京の我家にも泊まりに来ていて、特に皇室ファンだった祖父のこと、皇居での勤労奉仕で上京していた時もありました。 その時は、祖父の一行が皇居のお庭を掃除していた際に天皇陛下(当時の昭和天皇)が見えて、目の前30cmのところでご挨拶下さったのだと、目をきらきらさせて嬉しそうに語っていたのを思い出します。 折しも亡くなったのが神無月(旧暦)だったので、こういう場合どうなるのだろう?と思っていたのですが、ちゃんと産土神様のお使いの方々がお迎えに来て下さるとの事です。 それなら天皇を敬っていた祖父の事だし、帰幽後もきっと迷うことなく速やかにあちらの世界へ向かう事ができたのではないかな、きっとそうだといいな・・と願っています。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-28 19:19
2007年 11月 26日
参宮橋の古民家画廊、フリュウ・ギャラリー企画のグループ展に参加します。
![]() ![]() ギャラリーへは、 * 小田急線参宮橋駅から徒歩1分 * 京王線初台駅から徒歩8分 * 千代田線代々木公園駅から徒歩10分 * JR代々木駅から徒歩12分 / 新宿駅から徒歩18分 詳しくはフリュウ・ギャラリーのサイトへ http://www.flewgallery.jp/ ![]() 100名の作家が出展されますので、いろいろな楽しい賀状が見られると思います。 オリジナルな年賀状・クリスマスカードを見つけることができると思います。 よかったらぜひ遊びにいらして下さい〜! ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-26 14:11
| おしらせ
2007年 11月 23日
友人のお誘いを受けて、国立劇場で上演されている「攝州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」を観ました。
室町時代に広く知れ渡っていた実話を元に創作された物語だそう。 さかのぼってインドの説話が大本のお話だという説も。 歌舞伎では何度も繰り替えし上演されている人気演目とのことですが私は初見。 でもこのあらすじ・・・なんとなく知っている..かも? そう、おそらくいままで観劇してきた舞台のなかでベストスリーに入る 寺山修司作、白石加世子、藤原竜也出演の「身毒丸」に似ているかも。 下地になっているお話がどちらも同じなんですね。 「攝州合邦辻」の物語りは。。。 河内の裕福な領主の元へ後妻としてやってきた玉手御前は 領主の前妻との息子、俊徳丸に恋心を持ってしまいます。 容姿端麗の俊徳丸は家の跡取りでもあり、それ故に弟に憎まれており命を狙われます。 また俊徳丸には相思相愛の許嫁がおり、 これを憎んだ継母玉手御前は俊徳丸に毒を飲ませライ病にしてしまいます。 みにくく顔の崩れた俊徳丸に彼の許嫁が離縁を申し渡すことを期待して・・。 醜く変貌した自らの姿を恥じて家を出奔した俊徳丸。 しかしたとえ落ちぶれた姿になろうとも俊徳丸の婚約者は彼を手厚く介護します。 俊徳丸の弟はさらに俊徳丸の命を狙って追っ手を放ちますが、 危ういところを偶然玉手御前の父、合邦に助けられ合邦の家にかくまわれます。 そこへ俊徳丸を捜しにきた玉手御前と鉢合わせ。 俊徳丸の婚約者を虐待し、俊徳丸に言い寄る玉手。 玉手の父合邦はそんな娘を恥じ憎み、 ついに成敗しようと短刀で玉手を刺してしまいます。 ところが・・ 玉手は俊徳丸の弟が彼を殺す計画を知り、 俊徳丸を助けようと毒薬をのませライ病に一時仕立て上げ、 いつか良い頃合いを見て特殊な薬にて 俊徳丸のライ病を治すつもりでいたことを告白。 つまり、俊徳丸の命を守るために致し方なかったのだ、と。 それだけ深い愛情を俊徳丸に持っていたと。 そしてその時、俊徳丸の弟が成敗された旨の伝達があり・・・ 死をまぢかにして息も絶え絶えに玉手が言います。 寅年、寅の日、寅の刻、に生まれた人間の肝を食べることに寄り 毒薬の効力はなくなり、俊徳丸のライ病も元に戻るのだ、と。 そしてその寅寅寅に生まれに当てはまる玉手は、 短刀を取り、自らの生き肝をとりだし俊徳丸に呑ませるのでした・・。 娘を刺した合邦は自分の浅はかさを嘆き、 俊徳丸は生き肝をありがたく頂いて病気がなおったのでありました。 ・・・以上、こんなお話でした。 地味でドロリとしたストーリー。 幕が下りた後もなんとも後味がわるい。 しかしこの物語のなかで一番恐かったのは実は俊徳丸ではないでしょうか。 最期の最期、玉手が生き肝を取り出すのを 期待の目でじっと待ち構えていた俊徳丸。 ぞっとするものがあります。 --------------------------------------------------------------------- ちなみに来年の春、白石加世子、藤原竜也キャストの「身毒丸」が再演されるそう。 ストーリーは「攝州合邦辻」そのものとはたいぶん違ったものになっています。 とはいえ寺山修司の「身毒丸」も決してすきなタイプのストーリーではないのですが、 藤原竜也あってこそのものすごい浄化感に圧倒された舞台でした。 ラスト、悲しいとか寂しいとかそういう理由付けがいっさいできないまま とにかくものすごく強い浄化感に涙がだらだら。 見終わった後、鬱屈した物語とは裏腹に、水で洗い流されたような感覚がありました。 けれど今回の再演。 ”子供”である身毒丸という役柄を演じるには藤原竜也は もう大人になり過ぎてしまったかのように思うのですが...。 それゆえ五年前のこの公演をファイナルとうたっていたのでは。。 好きな舞台だけに見方が厳しくなっちゃいますね。 舞台は魔物なのでなんともいえませんけれども。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-23 20:12
| 見るもの聞くもの
2007年 11月 21日
![]() 産土神がヤマトタケルノミコトだという絵付け師のkikuちゃんは 焼津にあるヤマトタケルノミコトに因のある焼津神社に行きたいといっていました。 同じ頃、自然な話のながれから焼津神社の話を神道の道士さんにお話ししたところ、もしお参りに行くのなら、焼津神社と全く同じ伝承が伝わっているという草薙神社をすすめられました。 ![]() ひなびた感じのまさに鎮守の森に佇む神社でした。右写真はその鳥居。鳥居の奥に映る人影はヤマトタケルの像。 さらに奥に入ってゆくと、樹齢約1000年というご神木が。(上最初の写真) ほとんど木の皮という姿になり、その皮の内側からまた新たに芽吹いて成長を続けている不思議なご神木。皮の形が大きなイノシシのよう。(『もののけ姫のシシガミ様みたい』と清水さんがおっしゃっていました) 清水邦夫さんが本殿の前に進みでて柏手を打った時、奥さんの知子さん、kikuちゃん、私も自然と一緒にあわせて柏手を打っていました。なんとも言えない厳かな雰囲気があたりを包んだ瞬間でした。 こういう、物言わずとも・・の共通の感覚はきっと日本人のDNAの中に組み込まれているのかも知れませんね。 この神社に伝わる伝承というのは以下のようなものです。 「相模の国で、国造に荒ぶる神がいると欺かれた倭建命(ヤマトタケルノミコト)は、野中で火攻めに遭ってしまう。そこで叔母から貰った袋を開けたところ、火打石が入っていたので、 草薙剣(天叢雲剣)で草を掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くしてしまう。 それで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という」(ウキペディアより) ![]() ここの神社はお祭りが非常に盛んで、氏子が一致団結して盛り上がるそうで、ふだんはあれっ?というほど何もないところだ・・とは地元の方の言。 左写真は焼津神社の境内におもむろに現れた綺麗な鶏。物凄い爪をしていたので闘鶏? ![]() 清水ご夫妻の陶工房は町中から程近い低い山の中にあり、竹林やだいだいの木、おおきな里芋の葉っぱなどに囲まれてとってもうらやましい環境。 工房「呑舟庵」と併設してるカフェ「なまづや」(右写真)ではと〜〜〜ッてもおいしいお食事を頂きました。 あまりに美味しくて食べている間kikuちゃんと私はずっと無言。し〜んとした中であまりにもくもくと食べ続けていたのでしまいにはなんだか可笑しくなって笑ってしまいましたが。 ちょうど清水ご夫妻の展覧会の搬入日だったということもあり、(本当にお忙しいところお邪魔してしまって申し訳なかったです)せめてものお礼にと搬入のお手伝い・・あまりお役に立てたとは思えませんが。。 ![]() 静岡、いいところでした。 富士山も見えるし。。富士山が見えると誰でも絶対に写真を撮ってしまう。これも日本人のDNA? けれどこの時の静岡訪問がすてきだったのは、何より清水ご夫妻に暖かく迎えて頂いたというところが大きかったように思います。 清水ご夫妻と、ご夫妻に繋げてくれたkikuちゃんに、感謝しています。 ------------------------------------------------------- 後日談。 ヤマトタケルノミコトはタケミナカタノミコト(先月おとずれた糸魚川の境の宮のご祭神)の分魂だという事を伺う機会があり、ここでもタケミナカタに繋がってびっくり。 ヤマトタケルノミコトが所持していたことのある草薙の剣は、もともとスサノオノミコトが退治したヤマタノオロチの尻尾から見つかったもの。 現在に残っている草薙の剣は二代目だそうで、初代草薙の剣には波乱万丈の歴史があり、スサノオノミコトやヤマトタケルノミコトが実際に手にした草薙の剣そのものは、壇の浦の戦いの時に海の中に沈んで失ってしまったのだそうです。 当時それはかなり衝撃的な事件だったようです。 でももしかしたら剣は故あって人間界を去っていったのかもしれません。 ..なんてふと思ったりしました。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-21 19:43
| 見るもの聞くもの
2007年 11月 21日
![]() 先日土鍋の注文を頂いたので、さっそく耐火土を吟味して後、2つ作ってみました。 現在乾燥中。 手前が2人前くらいの大きさ。 奥が4人前〜くらいの大きさ。 装飾はもちろん動物柄です。 どんな絵付けをしようか考えています。 それにしてもひさびさに(私にとって)大物をロクロで引いたので体中が筋肉中。 てことはロクロって全身運動だな、とつくづく思うわけです。 美術学生時代に聞いた話で、 芸術家でもっとも長生きなジャンルは彫刻家だそう。 彫刻家にとって、制作=適度な全身運動ということと、 彫刻って仕事柄溜めるよりも発散する部分が多いからなのかも? でも女性彫刻家は乳ガンになる確率が高いという話も聞きました。 画家も意外と長生きの方が多く、ゴッホなどは特例なのだそう。 しかしかつての油絵画家の中には長生きとはいえ、じょじょに精神に異常をきたす作家も多く居たそうで、それは絵具に含まれる揮発性の有毒成分によるものだという説も。 芸術でも小説畑の作家は短命の方が多いといわれますが、これは周知の事実かも。 頭で考え過ぎるのは身体と心に毒、ということもひとつの理由なのでしょうか。。 ![]() 今日作ったものをもう一つ。 あした出かけるのでお弁当に天然酵母パンを焼きました。半分をプレーンに、半分を干しぶどうパンにしてみました。 去年の柿とリンゴから作った酵母、まだまだ健在でふっくらふくらんでくれます。 ときどきひと月に1回くらい、小麦粉や砂糖のエサを与えてあげればず〜っと生き続けるようです。 酵母菌は管理さえしっかりしていれば長命のようです。 (この夏スペインに行っていた3ヶ月の間は冷凍庫保存で無事でした。) ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-21 18:12
| ふとおぼえがき
2007年 11月 21日
最近あまりお腹が空かないようです。
あれば食べるがなくても平気というか。 まず朝と昼はお腹が空かないのでほとんど食べなくても平気。 カフェオレの一杯でも飲んでしまうとおなかが一杯に。 夕飯はたいてい家で家族と一緒なのでふつうに食べています。 食事量の減少はもしかして疲れ等で血液がよごれてきてるからかも?とふと思ったり。 血がよごれてくると、よごれた血や変質(病質)した細胞をもとの状態に戻すために 食事の制限をするという本能が生き物には備わっているそうです。(千島学説より) 去年のいまごろ、忙しすぎてストレスや疲労、不規則な生活がこうじて 内蔵に膿が溜まり、それが影響して歯根を侵し、手術という羽目に陥りました。 あの頃はぜんぜん自分の身体の声を聞かずに目の前の物事をこなすのに ただただ必死でがむしゃらだった。。食事量も間食も多かった。 今もそれほど健康に気をつけている、というわけではありませんが、 一度痛い目にあっているので、自分の身体の声には以前より敏感になりました。 大食いをしなくなったり、徹夜で空腹でも寝る前にはものを食べないとか、 自分で身体のバランスを整えられる自力整体をし始めたのも効果があるのかも。 とりあえず基本ラインは守るようになってきたように思えます。 もしこのまま 食事をほとんどとらなくてもいい身体になってしまったら・・・? そんなSFまがいのことを思ってみたり。 体調はすこぶる良好。 おそらく食べない、食べ過ぎないおかげのように思います。 本来人間を含め生き物は、 飢えている状態が一番健康体であるようにできているのだそうですが、 それにしてもあまりにおなかがすかないので、自分でもちょっと不思議です。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-21 01:35
| ふとおぼえがき
2007年 11月 19日
![]() 借りた本を返すのと、予約していた本が届いていたので、まずは図書館へ。 世の中は月曜日。 世の中の決まりとして、月曜日は図書館はお休みなのであった。 本は返却ポストへ。 今日の目的地は銀座。 鳩居堂で来年のスケジュール帳を購入。 ここで売っている手帳が極薄でシンプルでお気に入り。毎年これなのです。 銀座にくると必ず寄るのが、松屋7階のクラフトギャラリーの一角。 店内はクリスマス色もさることながら、 ギャラリーではお正月にちなんだ展示が早々と催されていた。 そのギャラリーで以前雑誌で見て気になっていた九谷焼の作家さんでマンガのモチーフの絵付けをしてる方の作品を発見。うーん、伝統的な上絵付けにミックスしてプリントのマンガでチープでキッチュな妙な雰囲気をかもしだしているところが魅力的な器達。(ああ、言葉は無力だ。うまく説明できません。。) 他にも若手作家の力強い絵つけ作品をたくさん拝見。 楽しませてもらいました。 それから、友人の琴坂映理さんが出店している銀座プランタンのねこ展へ。 今回琴坂さんは、和風味付けの作品&オリジナルグッズを数々出展。久々だったので、ひとしきりお喋りしてしまったので営業妨害だったカモ・・・申し訳ない。 次に向かったのは東京。 途中京橋の明治屋でホルステン(ドイツ)の0.0パーセントノンアルコールビールを購入。去年買ったときより値上げしてた。。。(100円-->>130円になっていた!これってユーロ高の影響?) そしてブリヂストン美術館のセザンヌ展へ。 が! 世の中は月曜日。 世の中の決まりとして、月曜日は美術館はお休みなのであった。。。 写真は今日の収穫。 ホルステンの0.0パーセントビールと 琴坂氏から頂いた来年の個展のDMと、 鳩居堂のスケジュール帳、 小腹が空いたので焼そばin 自作の器。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-19 16:53
| ふとおぼえがき
2007年 11月 16日
デジカメが壊れっぱなしだと仕事上ちょっと困る事もあるので、
思いきって中古のカメラを購入しました。 中古のデジカメってすいぶん安いんですね。 買ったのは壊れたのとそう操作が変わらない同じメーカーのもの。 メモリーがそのまま流用して使えるのもありがたい。 本体の大きさを壊れたのと比べてみるとサイズがひとまわりほど小さい。 従っていままでのカメラのように単3形乾電池という訳には行かず、 専用のバッテリーが必要なのだそうだ。 ・・・バッテリー買わなきゃ。。 バッテリーチャージャーもいままでのじゃダメで専用のが必要だし。。 いままでのだったら目覚まし時計などの電池と共用できたのになぁ。 なんだかいろいろ専用のものが必要とかで面倒なんですね、新型のって。 新型なのにぜんぜん便利じゃないや。 (新型?・・と言っても中古なのですでに5年程前に新発売された機種ですが。 このくらいの年代のじゃないとウチのこれまた古いPCに繋げないのです。) あっ、ちょっと愚痴ってしまいました。 今は注文したバッテリーの到着待ちです。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-16 22:28
| ふとおぼえがき
2007年 11月 15日
デジカメがとうとういかれてしまいました。
ひとつ効かないボタンがあって、 なんとかそのボタン無しで撮影してきたのですが、 とうとう..。 その効かないボタンがなんとかならないかと実は分解したんです。 分解してわかったのは、ゴム部品の磨耗でした。 自力ではどうもその部品は作れなさそうだなという事もわかりました。 そしてもとどおりに組み立てました。 あれ? 元通りに組み立てたら、効かないボタンがさらに増えていました。 あはは。 とりあえず撮ることは撮れるんですが。 いろいろ便利な機能は使えませんが。 あはは。 6年くらい前に初めて購入したデジカメで、 スペインに住む時に出発間際に衝動的に(展示品で安くなっていたので) 購入したものでした。 以来スペイン生活はこのカメラと一緒。 お祭の写真も沢山撮ったし、友達や景色や美味しいものもたくさん撮った。 サンチャゴの巡礼も一緒に行きました。 メインサイトの写真やこのブログの写真も 全て全てこのカメラで 撮ったものです。 私にはじゅうぶんすぎるカメラでした。 たとえ只の四角い箱になっても やっぱりぽぃっとは捨てられない。 最新の高機能にはないものがこのカメラには一杯あるので。 もうすこしお金をためたら直して使いたいな、と思っています。 ▲
by MAJO_ceramica
| 2007-11-15 22:11
| ふとおぼえがき
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