|
![]() ホームページ MAJO 展示会のお知らせは こちらからどうぞ! こまいぬや MAJOwebショップ 陶芸サークル しゃちほこや 講師をして居ます。 只今メンバー募集中! 100ピープルのページ *本ブログのテキスト、イメージ等の無断転用 ・加工・二次配付はお断りします。 Copyright(c) MAJO 最新のトラックバック
カテゴリ
以前の記事
2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2010年 06月 25日
きのうのおぼえがきに書いたミュージカル
「ジーザス・クライスト・スーパースター」のジーザスの台詞、 『自分で治せ』についてちょっと気になったので、さっと調べてみました。 原語(英語)では、 『heal yourself !』 って言っています。 heal は、日本でもヒーリングなんて風に使われてますが、 これって今更気づいたけれど、healthのhealなんですねぇ。 日本では「癒し」なんて訳しますが直訳では健康になれ、ってことですよね。 試しに「癒し」をスペイン語辞書でひいてみると、 lo sano と出ます。 sanoは健康という意味。 やっぱりそうなのか。健康なのか。 「癒し」なんて言うと ひらひらふわふわしたやわらかくって心地よいものって イメージがなんとなくあるんですが、 「健康」と言うともっと日常に近くて、 地に足がついてるしっかり手応えのあるもののように思えてきます。 イメージのモンダイですが、 イメージがこう違ってくると認識も変わる。。 そういう意味で翻訳ものって難しい所があります。 ことミュージカルとなると更にメロディに乗せなきゃならないんですものね。 「ジーザス・クライスト・スーパースター」の世界に話を戻すと、 四季版のでは『自分で治せ』と訳されていますが、 『自ら健康になれ!』って言ってるんですね。 思い切り直訳だけどジーザスの言わんとしている事はこっちの方が伝わるみたい。 この台詞の前に、彼は 『私は無力だ』とも言っています。 『私は無力だ。自ら健康になれ!』 これ、自分も含めてですが、現代でも、 自らの健康に日常的に留意する前に、 どこかに行ってお金払って治してもらおう・ 癒してもらおうっていう根性の人って沢山いるのでは。 ヒーリングに群がる風潮ってジーザスの時代とまるで同じです。 誰かに治してもらうんじゃなくて健康は自分でもぎ取るもんだ、って 以前お世話になった楽健法のインストラクターさんに言われた事があります。 ・・・でこんな明け方まで仕事している不健康な自分。 (窯の焼成に合わせて生活してるので個展終了までは仕方がないな。。) ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-25 03:50
| ふとおぼえがき
2010年 06月 23日
どこから有名画家?
画家のルドンだとかビュッフェをマイナーだと言われたのですが、 そうなんですか? 日本では、ってことなのかなぁ。 少なくとも美術に関わっていたら この二人を知らないのは、あれ?という感じなのだけど。 中高大学と美術系の学校で育ったので、感覚が違うのかなぁ? 話変わって、 「好きな画家は?」と聞かれると悩みます。 作品よりも画家ご本人のキャラクターが好きなのは、ダリ。 『ガラ大好き♥その次に自分大好き♥』が満ちあふれている ダリの個性はすてきだなぁと思う。 だからダリが買い取って個人美術館に改造したフィゲラスの劇場美術館は、 ダリ自身のキャラクターが溢れていて大好き。 でも一個一個の作品、特にダリの絵はあんまり好きじゃない。 彫刻は面白いと思うけれど。 フンデルト・ヴァッサーも好きだけど、 やはりこれもご本人が好きで、絵はあまり好きじゃないかも。 ご本人が好きになったのは、ウィーンに行ったときに、 クンスト・ハウス・ヴィーン(ヴァッサーの美術館)で、 彼の日常や想いをおしゃべりしているビデオをみてから。 切ないほどに自然を慈しむその心がいいなぁ、と思いました。 そうだ、フランチェスコ・クレメンテが一時期描いていた水彩画はかなり好きです。 でも世田谷美術館などが収蔵してるアクリル絵具を用いた作品を描くようになって 以降、まったく興味が無くなってしまいました。 彼のアクリル絵はむしろキライ。 だから好きな画家かというと、ちょっと一時だけ、という感じでしょうか。 若沖の水墨画で鳥や植物を描いた絵はすきかな。 カメの絵は好きじゃないけど。 こんどから好きな画家を聞かれたら、若沖って答えようかなぁ。。 改めて考えてみると 私が特に憧れている画家とか好きな画家、 いやもっと広く、 陶芸も含めてクリエイターってきっといないのだなぁと思う。 まぁ、「好き」にもいろいろあるのでしょうけれど。 「師匠に恵まれない星の下に生まれている」と、 以前算命学で言われた事があるけれど 本来師匠を求めない気質なのか、 師匠が居るという環境が想像できないし 師匠が欲しいと思った事もない。 絵を描く事もそうだけど、ものを作るって、突き詰めれば突き詰めるほど 自己が薄くなって行くと言うか、 『自分が自分が』という主張が消えて行くと言うか、 やっぱり何かにただやらされてるだけという感じがします。 一時お預かりして、作品を作らせてもらっているだけ。 大事に大事にいまはお預かりしているだけ。 だからいつか「もの作る」という事をお返しする時期が来ても 執着を持たないでいられるような気すらしています。 師匠とかそういう世界じゃないんですよね。 上手く言えないけれど、たぶんこの道でいいんだと思います。 私は。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-23 13:56
| ふとおぼえがき
2010年 06月 20日
あまりに忙しいと、
だんだん自分がドロドロの液状になる感じがします。 ああ、いけない。 立て直さなきゃ。 忙しさにかまけてまだ夏服を出していませんで、 先日やっと時間の隙間をみつけて半分ほど引っ張りだしました。 引っ張りだしながら、着なかった春ものの洋服を多数発見。 すでに現在タンクトップで過ごしている私には 薄手の生地とはいえ春物の長袖は暑い。 なんとなく残念な気持ちで再び押し入れに仕舞うのでした。 夏服はまだ半分くらいしか出せていないので、 微妙にタンスにはまだセーターが入っていたり、 コートが架かっていたりしています。 目に暑い。。 そして、ここ数日の緊急問題はパジャマ。 冬用パジャマはいいかげん暑いです。 パジャマが暑いと意外と人って凹みますね(笑) 眠りが浅いのはそのせいか。 そうして、今日、買い物に寄ったダイエーで ついつい涼しそうな夏パジャマズボンを購入してしまいました。 衣替えが間に合わないから買うなんてサイテイ。 ああ、いけない。 立て直さなきゃ〜。 とはいえ、今夜はやっと涼しいパジャマで眠れるシアワセ* (思考力が崩壊しています。こんなおぼえがきでスミマセン。。) ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-20 18:55
| ふとおぼえがき
2010年 06月 15日
オニのように怒濤の製作のまっただ中。
いま突然死しても悔いはないです。 できるかぎりの事をしています。 午前中は三省堂さんで、個展の最終確認。 実際に会場を見ながら雰囲気づくりを考えてきました。 余談ですが、今日みてきた個展をさせて頂く会場で 現在はヒロヤマガタなどを扱う版画ギャラリーさん主催の展示会をしていました。 ヒロヤマガタなつかし〜。 好き嫌いは別として、確かに一世を風靡してましたよね。 その一世風靡していた当時に、徹子の部屋にご本人が出演されて 『自分の絵はアートとは全く思っていませんし、 芸術でもなんでもないですから、あんまりいじめないでください。』 とおっしゃっていたのが印象的でした。 そうなんだ。 騒いでるのは周りだけなんだなー、と思ったものです。 この番組のお話では、 南の島を購入して浮き世を離れて暮らして居られた様です。 いいなー、ヒロヤマガタの地位。 なんて当時は思いながら、番組を見ていたものです。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-15 00:59
| ふとおぼえがき
2010年 06月 08日
![]() 朝起きてまず気になるところから手当りしだいに ココロの赴くままに制作。 上の写真は金彩を焼きつける前の作品の一部。 絵柄の中の茶色い部分が焼成後、金になります。 早起きの時でも遅起きの時でもいつも朝食は食べないので、 気付いたら午後2時頃にその日最初の食事とるのがパターンになってしまっている。 うーん身体によくないかも。。 植木の植物達の世話もここのところ手抜き状態。 私の目がゆき届かない現状をいい事に、 母親がいい加減にもらってきた植木を増やしている。 (母は自分で世話をしないので、 勝手に私の植木達の中に紛れ込ませている。。まるでカッコーの托卵。) そんな風に勝手にいつのまにか増えていたスズランが7株。 育て方よくわからないので、水だけじゃーじゃーあげていたら、 花が咲いて居た。 ![]() スズランだとかユリの花の薫りは何か生々しい感じがして あまりすきではないのだけど、花弁は可愛いなぁ。 ワルツでも踊っているみたい。 ブルーベリーの花に似ているけど、よりガーリーな感じ? ![]() ふっと気づくと レモンマートルの木にも沢山の花の蕾みがついていた。 レモンマートルって 花が咲くんだ! ![]() サボテン、お前もか。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-08 18:29
| ふとおぼえがき
2010年 06月 07日
お昼ご飯を食べながらNHKののど自慢を何とは無く見ていたら
80才のおじいさんがきりっと直立不動で歌われて居られた歌が妙に心に残りました。 *********************************************** 「アカシアの雨が止むとき」 アカシアの 雨にうたれて このまま 死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる 朝の光の その中で 冷たくなった わたしを見つけて あの人は 涙を流して くれるでしょうか アカシアの 雨に泣いてる 切ない胸は わかるまい 思い出の ペンダント 白い真珠の この肌で 淋しく今日も 暖めてるのに あの人は 冷たい瞳をして 何処(どこ)かへ消えた アカシアの 雨が止む時 青空さして 鳩がとぶ むらさきの 羽の色 それはベンチの 片隅で 冷たくなった 私のぬけがら あの人を さがして遥かに 飛び立つ影よ *********************************************** 歌舞伎など見ていても感じますが 日本人にはよくも悪くも死を美化する文化がかつてはあった、と思う。 しかしそれは同時に、生を美化することでもあったように思っている。 死と生はいつでも表裏一体のものだから。 それを身近に感じ、おそらく今よりも理解していた時代の人々の物語。 現代でも死という現象は昔と変わらず依然として存在しているけれど、 日本において死という概念が、 昔に増してひとそれぞれのようになってきている、、というか いやむしろ日常のなかで死という概念すら持たないで暮らすのが 当たり前のような風潮になっているというか。。 しかし、そのひとが死をどのようにとらえているかということで、 究極には生き方まで変わってくるのだ。。。と思う。 とりわけ、死というものを積極的に扱った作品への 感想がひとそれぞれなのもそういう所以なのだと思うのだけれど。 「ラ・マンチャの男」というミュージカルにこんな台詞がある。 『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。 ……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。 彼らはみな、うつろな目をして、 おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。 いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。』 そうしてしかし、つまるところ 『なぜこうして死んでいくのか』はイコール 『いままでこんな人生なんのために生きてきたのか』 なのだと思う。切り離せないものだと思う。 一昨年、映画館で「崖の上のポニョ」という映画を見たときに、 リアルな死の陰の描写(持ち主のいなくなった水際の車いすだとか、 運転手の消えた乗り捨てられた車の描写の仕方など)に少し驚き また唐突な印象の物語の終わり方にきょとんとしてしまったのだけれど、 今になって、おそらく、わかったことがある。 まずあの映画で伝えたい事を伝える為には、 見ている側に「死」というものを感じ取ってもらわなければならなかった。 そして、おそらくあの映画の終わらせ方は、 生を感じさせるものでも、 死を感じさせるものでも、 どちらでも同じ、どちらでもよかったのではないかと。 後日ラジオを聞いていたら、この映画の監督・宮崎氏が 『ポニョの主題歌にふさわしい終わらせ方にした。』と語っていた。 あの主題歌があったからあの終わらせ方を選んだ、というだけで、 あの物語にとって終わり方というのは、 生でも死でもどちらでもたいした違いはなかったのではないか、と この話をきいてますますそう感じたのでした。 生まれる前にも何か続いてきたものがあったのかもしれないし、 死んだあとにも何か続いてゆくものがあるのかもしれないし、 生まれてくる場所と死んで行く場所は同じかもしれないし、 その生き方、死に方によって違う場所になるのかもしれないし。。。 そんな繰り返しを気の遠くなるほど繰り返しているわけで、 その長い長い生と死のつながりのほんの一部分を すくい取った散文詩があの映画だったのかなぁ、とふっと気づいたとき、 ああ、やはりここにも生=死があるなぁ、と思い、 そうしたら、ちょっとあの映画が好きになったのでした。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-07 14:27
| ふとおぼえがき
2010年 06月 02日
先日、川口のカフェ・アクタさんに伺った時にバナナの話になって、
バナナの皮ってものすごい多量の防腐剤などが付着しているので、 バナナの皮を触った手で、口に入れる食べ物を触らない方が良い、という事。 バナナはもともと日持ちしないし腐りやすい果物なので、 輸出できるようなしろものではない、という 輸出元である現地の人の話を聞いた事があります。 殺虫部屋に収穫したてのバナナを詰め込んで 殺虫ガスやら防腐剤やらをまくらしい。 よくへびなんかもまぎれ込んでいるのだそうで、 この殺虫部屋通過後はもちろんお亡くなりに。 へびも気の毒です。 所変わって、陶芸サークルの仲間と、ここでもまたへびの話題。 へびってよくかんがえると、あのちいちゃな卵からうまれるわけで、 そしたら長さ5cmとかのうまれたてのへびの赤ちゃんっていうのもきっといるんだよね? でもそんな短くてちいちゃいへび、見た事ない・・・、という話に。 赤ちゃんのへびっていったいどこにいるんだろう? ・ある程度大きくなるまで土の中で育つ説。 ・赤ちゃん時代は手足が生えていて(←とかげ?)、大人になると手足取れる説(笑) おたまじゃくしとカエルの逆バージョン。 大人になって手足が生えて来るのは嬉しい感じがするけれど、 生えて居た手足が大人になったからってぼろっととれるのって、なんだかちょっと残念かも。 空想力ありすぎです。 でもへびはべつにきらいじゃありません。 (あえて好きでもないけれど) ふと思ったのですが、水道の蛇口。 よく「蛇」という言葉を名づけたなぁ、と思います。 古神道では、蛇と龍は同意語だそうで、 龍はつまり水を司ると言われるため、 水のでてくる口に最終的に「蛇口」という名称がつけられたのでしょうね。 蛇といえば「ジャノメ」なんて言葉もあるし、 一説によると鏡という言葉も元来は 「カカ(蛇)」の「メ(目)」の意味だと言うことだし、 日常のこういった身近な大切なものに 古来の日本ではぎょうさん使われていた「蛇」という名称も、 おそらく現代だったらきもちわるいだとかそういう理由で 決して使わないのではないだろうか、と思うのでした。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-06-02 11:44
| ふとおぼえがき
2010年 05月 28日
![]() 雨と風がつづいたおかげで空気がきれいでした。 すきっと澄んでいる・・と思いきや、 やはり日没後の空に見える星はいつもと同じに1コだけ。 ネオンが反射する赤い雲に異常なコントラストを見せる深い青空。 同日。夜も深けてくると 南西にかかる大きな雲に隠されたほぼ満月。 これまた都会のネオンの上で悪の支配者の風情。 ![]() 先日展示会のうちあわせでおじゃましたビタミンTeeの店主さんからでてきた 写真家・藤原新也氏のお話。 思い出しそうで思い出せない氏の写真をみたくて、 メメント・モリをよむ。 そこにでてくる一節。 日光浴は生命をやしないます。 月光浴は死想をやしないます。 Memento mori/メメント・モリはラテン語。 「死を忘れるな」 太古の昔から死と生の距離は 決して縮まったり遠ざかったりすることなく 表裏一体であったはずなのに。 死を忘れるな=今を生きろ 今日の夕方の空はといえば、スモッグもくもくでグレーに霞んで居りました。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-05-28 19:30
| ふとおぼえがき
2010年 05月 25日
カメのえさがきれたので、ダイエーに買いに行く。
近所に某有名チェーンのペットショップや某有名量販店などなどがあるのだけれど、 そういういかにもペットのエサがいろいろ置いてありそうなお店には 私が欲しいメーカーのカメのエサは置いていないなのです。 うちのカメはきまった商品しか食べないのです。 そしてそのエサはデパート屋上のペットショップなどにも置いていなくて、 知る限り、何故かダイエーでのみ取り扱っているのです。 うちのカメが口が肥えているとか、決してそういう訳ではたぶんなくて、 (・たまにはいいもの食べさせようと輸入もののお高いエサをあげても一切口にせず。 ・「カメの飼い方」本にでていた、タンパク源のイトミミズをあげても見向きもせず。) ずーーっと29年間、変わらず食べ続けている同じ商品「コロナ」。 カメのエサのなかでも廉価な方だと思います。(ダイエーで売っているくらいですから) でもこれしかぜったいに口にしないのです。何故だか。 小池さんのラーメンみたいなものでしょうか。。 コロナだけで29年間生きているので、とりあえず、これでいいんでしょう。 **** そのコロナを買おうとダイエーのレジで並んでいたところ、 わたしの前に並んでいた初老の男性が、 ネコ用のかりかりペットフードを買っていました。 レジ嬢『380円になります。』 ええっ?安い。 ねこのカリカリってそんなに安いの? 原料はいったい何だろう?と素朴な疑問が湧きました。 カメのえさの「コロナ」は、そのおじさんが購入していた箱の大きさの 10分の一くらいの小箱で、お値段586円也。 かなり割高。。カメのエサってじつは高価なの? 犬ネコのエサより需要も競争も少ないから?? ちなみにコロナの原料を見てみたら、小麦粉だとかサナギだとか書いてあります。 うちの植木にたまに住み付く芋虫がサナギになったところをつかまえて・・・ 自家製コロナ・・・。 ・・・しないけどね。 自家製カメのエサをつくる気力はないので、 割高でもこれからもやはりコロナに頼ります。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-05-25 19:37
| ふとおぼえがき
2010年 05月 17日
![]() 裸足(下駄)で 寒い寒いといいながら 外出して居りました。 ネコもの作品の ちまちましたところを製作中。 オブジェと言うか、 すこしおもちゃっぽい感じに 細工をしています。 手がかかりすぎかなぁ。 ともかく完成させてみるべし。 日が落ちてみたら 夜空がまるで 月星シューズのような構図でした。 夕飯に出たそばつゆに 思い切りアルコールが使われていて 知らずにずずっとたぐって 口いっぱいほおばったところで すぐに気づいたけれど 戻す訳にも行かず飲み込む。 以来、今でも胃が痛い。 年々、ますます アルコールに敏感になっている。 アルコール=毒物指定だなぁ、 私の場合。 ちゃんと火を通して 飛ばしてあれば大丈夫なんだけれど。 ラジオで流れていた スクーター談義。 出演は藤井フミヤ(懐かしい〜)と ザ・コレクターズの人。 古いスクーターを エンジンぷすぷす言わせながら 高速でエンストおこしながら 乗っているのだとか。 壊れかけを引き取って 修理(改造?)に100万円かけて 大切に乗っているのだとか。 ツウの間ではそういう乗り方もアリなのか。 危険危険。 でも私もやっぱり気に入っていた 前のスクーター(ポンコツ)、 手放さなければ良かったなぁ。。 なんてラジオ聞きながら思ったりして。 明日は乾燥した暑さになるとか。 らったった。 ■
[PR]
▲
by MAJO_ceramica
| 2010-05-17 01:10
| ふとおぼえがき
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||