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2005年 12月 04日
キンセンカを摘んで花かんむりを編むわ 頭にのせるとそこに 銀色の太陽が昇ったの ラトビア民謡「五頭の栗色の子馬」より 翻訳/黒沢歩 先週ラトビア民謡のコンサートに行ってすっかり虜になってしまった。 コークレという民族弦楽器(日本の琴に似ている)の演奏で今回が3度目の来日という20代の女性9名のグループ「ジータリ」。「ジータリ」とは「琥珀音楽団」の意味だそう。 コークレを演奏している姿はまるで機織りをしているみたい(上写真)。こんなふうに日常の生活なかで機を織る様に自然と親子代々受け継がれて来た楽器なのだろうな想像させる。音も詩も気持ち良いくらいに大自然に直接繋がっていて、太陽と大地と風と海と空と花々とそしてその一部である人間と・・・全てが内包されている。 演奏者同志がときどき目を合わせて微笑みあっている。その微笑みは屈託なく観客にもむけられる。 あるいは演奏者たちの目は演奏中ふと、遥かな地平線や空の上に向けられる。客席にもすっと風が吹いてくる。風に乗って何か花の香りがほんのり漂ってくる。 民謡の歌詞から推測するに、ラトビアの伝説は各国の古い伝承にもよく見られるように、自然の万物を崇拝するような物語に満ちている。(日本の神道もしかり)きびしくてあたたかくて人間的で。 「葉っぱ」というこんなうたがある。 この落ち葉は明日空に舞い上がり 枝へと舞いもどる この大地の雪は空に舞い上がり 神により星へと舞いもどる 川は源へと遡って流れる 太陽から降りそそぐ光は太陽へと舞い戻る そして私は蘇りもう一度目を覚ますだろう 人生の旅の終わりにきた人は この世を去って生まれる前の世界へともどり そしてまたこの世に戻ってくるだろう (ラトビア語訳/黒沢歩) 9人の奏でる琴の音には一糸の乱れもない。琴の合奏が波のようにこんなにも心に打ち寄せるものだとは知らなかった。 また曲の半数は奏者たちが合唱しながらの演奏であったりするのに、当然のように声も音も全く乱れがない。しかし緊張感も漂ってはいない。何か自然の法則にのっとって無理なく滞りなく行われているようだ。合わさった琴の音色と歌声は優しく美しく、なんだかなつかしい。音の森のなかを森林浴しているような気持ち良さだ。この人達は自然のなかに生まれて、大地に育って、そういう当たり前の事をちゃんとして生きている人達の音だ・・演奏を聞きながらそんな風に思っていた。 終演したコンサートのロビーでは演奏者達が作ったという手縫いの素朴なラトビアのお人形やCD(左写真)を販売していた。CDを買ってホールの出口付近に行くと、ラトビアの民族衣装をつけた演奏者たちが観客を見送ってくれていた。 加藤登紀子さんの歌う有名な歌「百万本のバラ」の原曲はラトビア民謡「マーラが与えた人生」だという事を今回のコンサートで初めて知りました。「百万本のバラ」は原曲をほとんど編曲しないままですが、歌詞が変えてあります。原曲の歌詞を最後にここに書いておきます。 マーラが与えた人生 子供のころ泣かされると 母に寄り添って なぐさめてもらった そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 時が経って、もう母はいない 今は一人で生きなくてはならない 母を思いだして寂しさに駆られると 同じ事を一人つぶやく私がいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 そんなことすっかり忘れていたけど ある日突然驚いた 今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 (ラトビア語訳/黒沢歩) 注:マーラはとてもポピュラーなラトビア女性の名前でもある。 この歌詞は母娘の幸薄い人生の繰り返しを綴っている。 (コンサートパンフレットより)
by MAJO_ceramica
| 2005-12-04 22:51
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