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2005年 10月 11日
おもしろい本を読み出すと明け方まで止まらない。(悪い癖です。)
このブログに遊びに来て下さっているみわこさんのお話から興味を持ち、『フィンランド語は猫の言葉』を読んでみました。ほとんど日本人がいないフィンランドのヘルシンキ大学へ語学留学した著者稲垣美晴さんの体験記。 スペインでの生活で感じてた事を思い出しつつ読み進む。私の場合は語学留学ではなかったので、言語的にはかなりブロークンなスペイン語になってしまっているが、この本の著者は3年間みっちり言語学漬けで過ごしている。しかし言葉の修得を目標にフィンランドにいったのだけれど、今振り返ってみると言葉の修得は副産物的な物であったと書いておられる。やはり重要なのはその国に生きたこと、なのだ。 私もやはりラ・ランブラという土地に生きた事、これからも繋がってゆく事、これがまず言葉より何より重要で第一の原動力なのだと今でも思っている。そして陶芸。たしかに陶芸があったことで私はラ・ランブラに自分の『場』を持つ事が出来たと思う。何の為に語学を学ぶか、その目的がなければ外国語を習得してもあまり意味がないのではないかと、特に語学に関して勉強熱心ではない私はそう思ってしまうのです。 この本には日本では分らない未知の国フィンランドのことが書かれていて読んでいてとてもわくわくする。大学の授業で『どんなフィンランド文学を外国に紹介したら良いか?』という話題で著者の同級生がこんな事を言っている。 『フィンランドにはコスモポリタンの作家もいるけれど、外国がフィンランドに期待するものは、いまだに何かやはりプリミティブなものなんだ。コスモポリタンなら、フランス人でもかまわないわけで、フィンランド人である必要はない。』 スペインでも日本人はやはり何か日本的なものを求められる事が多い。私の一挙一足に対して『それは日本の習慣か?』と聞かれることもあった。でも実際自分に日本的な部分、「これがプリミティブな日本です」と伝えられる事なんて今やもうそんなにないんじゃないだろうか?と当初は思ったのも本音だ。 話は飛ぶが、先日下北沢を歩いていて偶然フランスの民芸的な陶器を専門に扱っている陶器店をみつけた。中に入ってみてみると、スペインの絵付け食器と非常に似通っていて懐かしくなった。店番の女の子が声をかけて来て、何とはなしに話が盛り上がり、「自分の身にしみ込んでいるもの」の話になった。 しみ込んでいるもの。 たとえば日本のお茶碗の形をスペインで作った時の事。 工房の人達は『とてもオリエンタルだ!』と私に言った。 向こうにはカフェオレボールの様なものはあっても、日本のいわゆるお茶碗のかたちをした食器はない。(食文化がちがうのであたりまえなのだが) 無意識のうちにお茶碗の形が私の中にしみ込んでいて、それがスペインの人達には『プリミティブな日本』に感じられたのだ。 そうやって自分にしみ込んでいる文化の根源を新たに感じる・発見する面白さがスペインの生活の中にはあったかもしれない。そして日本で、もっとはっきり日本の文化を感じてみたいと思ったのが今回の帰国に繋がっている。 実際日本に戻ってくるとまた見えなくなってしまう事も多い。 東京は圧倒的なコスモポリタンの街だ。 そしてそのコスモポリタンに右に習えで、地方都市のプリミティブな個性もどんどん消去されている。意識して『文化保護』の看板をかかげないと目に見える日本的プリミティブなものはこのままなくなって行ってしまう気がする。 それでもしみ込んでいるものがある。 そしてこれは決して消せないものなのだと、私は今では知っているのです。 コスモポリタン的なものもまぁいいけれど、その一方で願わくば、しみ込んでいるものを無理なく大切にできるような生活が送れるといいな、と思っている。世界において何より強くて優雅なものはやはりその国独自のプリミティブなものなのだから。
by MAJO_ceramica
| 2005-10-11 03:14
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