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2009年 11月 16日
TVのニュースで纒向遺跡と卑弥呼を結び付ける報道を聞く度にムカムカ。
もういいかげんその戦後の左翼洗脳系の日本史観から解かれてほしい。。 魏志倭人伝も、 大和民族の祖先は大陸から移動して日本へやって来たとかいう説も、 『記紀(古事記・日本書紀)』を読み込んでいくと いかにうさん臭い資料&説なのかが良く分かって来るし、 古陶の歴史をみても、日本人の祖先は大陸からの移民ではなく、 たんに日本人が有史以前から海外と交流していたと見るべきだ、 と陶芸道のオーソリティ:加藤唐九郎氏も言ってます。 もし実在したとしても卑弥呼みたいな単なる地方の巫女(?)が 大和という古代日本の中心地に墓を持つ訳がないじゃん! ・・というのが私の見解。 ************************************* 纒向遺跡 奈良県桜井市の三輪山西側に広がる3〜4世紀の大規模集落遺跡。 東西約2キロ、南北約1.5キロに、最古級の前方後円墳とされる 纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳がある。 各地の土器が持ち込まれ、邪馬台国の最有力候補地とされる。 ( 毎日新聞報道より) ************************************ ここに出てくる「箸墓」も以前、卑弥呼の墓だとか騒がれていましたが、 この「箸墓」はそもそもちゃんと記紀に書かれています。 今年お参りさせて頂いた奈良のこの纒向遺跡の傍の大神神社(おおみわじんじゃ)で いただいてきた月報には、このような事書かれていました。 ちょうどタイムリーな内容なので、ちょっと長いですが引用させて頂きます。 (以下引用) _____________________________________________________ 『纒向古遺群は、その成立が近接する古墳群の中では最も古く、 そこ一体に広がる纒向遺跡群は邪馬台国の想定範囲と重なっているかと見られて、 学界からも世間からも大いに注目されているところです。 そのことに関して、筆者に格別の異論があるわけではありませんが、 一つ、忘れてほしくないのは、箸墓の築造に 三輪の大物主神が大きく関わっているということです。 皆様よくご存知のことと思いますが、 『日本書紀』祟神天皇十年九月二十七日是後条は、 三輪の大物主神の妻倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)が、 夫大物主神の正体が蛇であることを知って驚いて、 則ち、箸を陰(ほと)につきてかむさりましぬ。 乃ち大市(おほち)に葬ちまつる。 故、時の人、其の墓を号(なづ)けて、箸墓といふ。 と、「箸墓」のいわれを伝え、このあとに、 此の墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。 故、大坂山の石を運びて造る。 則ち山より墓に至るまでに、人民相踵(おほみたからあひつ)ぎて、 手ごし(手渡し)にて運ぶ。 と、面白いことを記しています。 この物語から考えますと、箸墓のある纒向古遺群・纒向遺跡群の地は、 三輪の神のうしはく地として、三輪信仰圏とも三輪文化圏とも いえることになりましょう。 卑弥呼は『魏志倭人伝』に 「鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす」(原漢文)と記されています。 「鬼」は「死者の魂・先祖の霊」を意味します。 もし、卑弥呼が箸墓の主ということになりましたら、果たして、 卑弥呼の祖霊は大物主神とどのような繋がりがあったのでしょうか。 __________________________________________________ 以上ここまでが大神神社の月報に書かれていた文章です。 かなりやんわりと書かれていますが、 本末転倒しているような現代の卑弥呼説一点張りに ひいては日本史観にも、一石を投じているように見受けられます。 今回の報道でもみられますが、 歴史書としては中国ですら信憑性が低いと言われている 「魏志倭人伝」のような書物に基づいた卑弥呼説ではなく、 元来の日本の土地の信仰や文化(三輪信仰・三輪文化)に 基づいた仮説でなければ、何の意味もないと思うのですが。 こういうものの見方もある・・というよりも、 『記紀』という、日本古代史の国内随一の貴重な書物ときちんと向かい合った上での 報道や理解・研究を進めていけるような日本になってほしいと切に願うばかりです。
by MAJO_ceramica
| 2009-11-16 20:45
| 思うに・・
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