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2008年 12月 29日
イタリアの新表現主義の画家とよく紹介されているのですが、主義の事は私にはよくわからないけれど、この人が80年代頃に描いていた水彩画がとても好きです。
まだ学生だった頃、デパートの美術系ショップでいろいろな現代作家の画集やらポスターやらが売られていて、その中から見つけだしたフランチェスコクレメンテの画集数册。 一冊手に取ってページをめくると、自画像ばっかり。 どれも可笑しな顔つきで描かれており、その時一緒に居た友人と画集を見ながらお腹が痛くなるまで笑い転げた。次から次に画集をめくっては笑い転げて・・こんな風に大爆笑させる画集は初めて。でも美しいにじみのある水彩、その鮮やかな色合いにもとてもひかれる物がありました。 それからしばらくして池袋のセゾン美術館でフランチェスコ・クレメンテ展が開かれました。もちろんすぐさま行きました。作家自身が展示構成をしたというその展覧会は本当に楽しく大満足なものでした。 当時池袋のセゾン美術館(旧西武美術館)といえば、現代美術の興味深い作家さんを沢山紹介してくれていてかなりの個性を打ち出していたので、いつも見ごたえのある企画を楽しみにしていました。(こういったメジャーな美術館がなくなってしまったのはいまでも惜しいと思います。) 個人的に、クレメンテの作品は大爆笑だとか、楽しいだとか、そういった記憶が強いのですが、でもそれらは軽々しい感情ではなくて、なんというか・・・とてもナチュラルで、ただただあるがままで、綺麗な物をみて素直にうっとりするような、、そんな気分にさせるものでした(彼がインドで暮らしていた事と関係があるのでしょうか?)。中でも水彩画には、なんとも言えない味わいがあったのです。 セゾン美術館での展覧会で購入した画集はいまでも大事に持っています。 ここにアップした2枚の写真はその画集によるものです。 (もし問題があるようでしたら後日削除致します) 今日ひさびさにこの画集をひらいてみたら、当時の展示会開催にあたってのクレメンテの言葉が最初に書かれてありました。それは、それぞれ絵を描くための画材を通じての彼の想い。 例えばこんなふう。 ********************************** 油彩 油と水は混じらない。油で描いた後では、手も洗いにくい。油は不透明である。油は透明でありうる。今日ではグラッシの技法は廃れてしまっている。油で描くためには築き上げねばならない。築き上げるためには楽天的でなければならない。僕は楽天的にはなりえない。間違えるということは道徳的であると僕は信じている。油絵は誤りであるに違いないが、決して不正なものでありえない。油彩と銀行とは同じ時期に誕生した。油は豊かさの感覚を吹き込む。豊かさとは不透明であり、かつ厳密である。感情は貧しさへの扉を開く。貧しさは自由を吹き込む。自由はより広い空間のための感覚である。 水彩 水彩ではもっとも厳密な線を描くことができる。もっとも繊細なもっとも正確な線を。他の線はと言えば、その多くは偶然によってもたらされたものだ。水はいたるところに、美しくも混沌とした染みをつける。この混沌を統制し純化させることは、啓発的な体験である。花の蜜が水彩を定着させる。羽虫は濡れた紙の上にとまるのが好きだ。濡れた紙は大きなしおれた花のように見える。水彩を描くのは大いなる喜びである。偶然と感情と疾風怒濤の感覚。一度に訪れたすべてが結晶のように澄み渡り、悔やまれることはなにもない。 ********************************** 絶妙。 やっぱりすきだぁ。 クレメンテの絵に出会って、私は美術校で点数稼ぎ用・受験用の油絵を描く事に苦しんでいた時期を思いました。 そしてそれから数十年後にサンチャゴ巡礼道中で、スペインで、水彩画を描いていた私。 その2つの両極端の事象を、感情を、言葉でうまく表現する事はできなかったけれど、このクレメンテの言葉の中に絶妙に表れているかもしれないなぁ、、、と再読して初めて感じたのでした。 ありがとう。 それから、陶器に絵を描くということは、水彩絵のような感覚を呼び起こすと言う意味で私の性に合っているのかもしれません。
by MAJO_ceramica
| 2008-12-29 21:43
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