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2010年 06月 30日
ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」に出てくる一説について
友人と話していたのですが、 話題になったその一説はこんな内容。 予告された殺人によって屠殺包丁でお腹を切り裂かれた男。 その男が、ふらふらとお腹を押さえて自分の家に向かって歩き出す。 途中つまづいて、開かれた腹部から腸を取りこぼすと、 地面に落ちて泥がついてしまう。 ふらつきつつも腸を拾い上げてついた泥を払う男。 これを読んだときに、私は、 『こんな時泥を気にするものなのか。それどころじゃない気もするけど。。』 と思ったのですが、 友人曰く 『気にするよ!!絶対気にする。私だったら同じように払うと思う。』 と強く断言。 ちなみに「予告された殺人の記録」は 実際の事件とその取材に基づいた小説なので 細部の描写にもリアリティがあり、 想像を超えるようなとっさの人間の行動にハッとするものがあります。。。 2010年 04月 24日
最近友人の間で話題にあがる事が多く、
詳しく知りたいと聞かれることもしばしばあるので、 再度、おぼえがきに書いてみようかな、ということで、 エコナプキン(布ナプキン)のお話です。 5年前にここおぼえがきに同じ話題で書いるのですが、 ご興味がある方はこちらもあわせで読んでいただければ、と思います。 2005年 09月 01日付けのおぼえがき「エコナプキン」の記事 今年で布ナプキンに切り替えてから10年ほど経つので、 さらに気づいた事、思った事を書いてみようかと。 いやいや、いちど布ナプキンにしてしまったら、 その利便性と使い心地のよかさから もう二度と使い捨てナプキンに戻ろうとは思いませんね。 ムレ・カブレがなくなり、布ナプキンを使う前までは重かった生理痛も 使用以来まったく一度も痛んだ事がありません。 (私の場合、これらの症状の原因が、長年使い続けていた 使い捨てナプキンのケミカルな成分の悪影響だったからのようです) 布ナプキンは洗って繰り返し使える為、買い置きする必要もないので、 私は最初に10枚程度購入したものを今でも使っています。 そうそう布も痛むものでもないので長持ちです。 布製のナプキン、と聞いて、 私は量が多いから無理、 吸収力なさそうで不安、 という人は天然繊維の力を知らないのでしょう。 天然ものの力を結局侮っています。 自然の力をうまく取り入れて使わせてもらって生活するということを捨て、 深く考えず自分の利のみを考えているような企業利益に貢献している、 とも言えそうです。(ごみ問題は深刻です。それに、 特に日本製のものは生産時と焼成時にダイオキシン発生の可能性が あるとしてグレーゾーンにあると聞いた事があります) まあ、ケミカルナプキンは、 いわゆる先進国の習慣のようになってしまっているので、 気づかない人々を責め立てるつもりはありませんが。。 例えば、上記した 「私は量が多いから無理」という方こそ、一度試してみる事をお進めします。 上のリンク先の角張さんの本にも書かれていますが、 多い・少ない、というのは主観でしかなく、 多いと言う人でも、布ナプキンでまったく問題ないケースがほとんどで、 それで無理なほど出血の多い人は、 やはり何らかの病気の可能性がある(実際にある)という事です。 布だからこそ、正確に量の多少を知ることができ、 それによって自分の体調を知る手がかりにもなる訳です。 (人の事は言えませんが、現代人ってこういうところ無頓着ですからね。。) そもそも天然繊維の優れたところを真似て使い捨てナプキンが作られてる訳で、 その為にどっちゃりとケミカルな薬品をしみ込ませたり 化学物質を駆使している訳ですが、 だったらもともと最初っから安全で安心な布でいいじゃん、 と10年目にしてますます強くそう思います。 それともうひとつ、 古神道の勉強を始めてから、 やはり布ナプキンというのは 自分ができる範囲内の対応としては正解かな、と改めて思っています。 神道では生理というものはケガレとされます。 (穢れ・気枯れなどと当て字されています) このケガレというものについては、ご興味のある方は それぞれお勉強される事をおすすめ致しますが、 ここでは自分の日常に則して気づいた事を書かせてもらおうと思います。 使い捨てのナプキンはたいてい燃えるゴミとして捨てられますが、 燃えるゴミというのは回収したすべてを燃やす訳ではなく、 その全体量の三分の一から半数以上(地域によりその率は違いますが)は 燃やされる事なくそのまま埋め立て地に使われたり、 そのまま土に埋められます。 合成物質・ケミカル素材なのでもちろん土には還り辛い為、 そのままずっと土に埋まっているという訳です。 ケガレをそのままゴミとして捨て、 あとは清掃のおじさん、業者さんなどにお任せで知らんぷり。 自らのケガレを人任せにして知らんぷり、です。 あげくの果てにそのままそのケガレが土に埋められてしまう可能性もあるというのに。 そんな土地はどんな風になっていってしまうのだろう..と思うと、気持ちが悪い。 これはほんとにやってはいけない事だと思います。 それに、そもそも10年前に私は布ナプキンを使い始めた頃、 あるおかあさんの言葉が印象的だったのです。 『私たちの生理はゴミではありません。』 それまで当たり前のようにゴミ箱にすてていた自分が恥ずかしくなりました。 考えを改めさせられた一言でした。 同じように、ケガレはゴミではありません。 ケガレ=忌みごと、ということについて考えを深める一件です。 布ナプキンを使ったら、自らちゃんと毎日水で洗い流しきれいにします。 (血液はお湯ではなく水でないとよく落ちない・・というのも考えさせられます) 自らの手で清めの行為を行っているという意味で、 これはほんとうにほっとする作業です。 自分の日常に則したささいな事ではありますが、 ここでもまた神道のものの考え方は理にかなっているなぁ、と つくづく感じ入るのでありました。 それから、 布ナプキンも10年前と比べるとずいぶんと知られるようになり、 販売店も増えましたが、もし購入されるなら、 綿100%のネル生地、 ただの正方形のを3つに折り畳んで使うタイプのものをおすすめします。 (目の詰んだネル生地があれば自分でも簡単に作れます。) 使い捨てナプキンの形状をまねたもの、羽根つきとか、ホック付きとか そういうのははっきりいって使えません。 2010年 04月 05日
ちょっと最近なぜだか
「ルパン三世」の話題を耳にする事が多くて、 何の偶然?と思っていたら、 先月は山田康雄さんの命日があったのですね。 亡くなられてはや15年だそうで、月日が経つのが早い。。 私が幼い頃に見ていたアニメの声優さんの多くは舞台俳優さんで 洋画の吹き替えなどを基本的にこなして居られたりして、 俳優業(とくに舞台俳優)の一部として声優という お仕事をされている、という印象がありました。 山田康雄さんは確か劇団民芸に在籍されておられて、 その後、コミカルな作品をよく上演していた テアトル・エコーに移られたのだとか。 (たしかこの劇団の舞台を見ていたアニメ制作側の方が 出演されていた山田康雄さんの姿や演技をみて、 ルパン役の声優として抜擢したというお話を聞いた事があります) その後、ルパン三世と山田康雄さんとの関係は、 とくにアニメーションに詳しくない方でも、 30歳代くらい以降の年代の方でしたらもういわずもがなでしょう。 一世一代のあたり役、でした。 個人的には、物心ついた時から当たり前のように アニメ「ルパン三世」がTV放送されていて、 じつは親からは『見てはイケナイ』と言われていたのですが(笑) あまりにしつこく何度も、再放送も入れると 何十年というスパンで放送されていたので、 いつのまにか気がついたら当たり前のように 何度も見返す作品となっていました。 好きな番組か否か、という以前に、 「何も考えず当たり前のように一緒に育って来た」といった方が 私には自然かもしれません。 もちろん好きだったからチャンネルを合わせていた訳ですが。 最近、、といってもちょっと前になりますが、先月でしたか TVをつけたらルパン三世の最新作が放送されていました。 ストーリーはもう終盤にさしかかっていたので 詳しい内容はわかりませんでしたが、ルパンの声(の声優さん)が 何を喋っているのかBGMにかき消されてよく聞き取れない。 腹から骨から声が響いていないのですよね。 これは舞台をされている俳優であるか否かの決定的な違いだな、 と感じました。 大人になってからはアニメよりも舞台を見に行く事の方が ずっと多くなっていった私ですが、舞台での芝居を観ていると、 役の内面が構築されておらず 念のこもっていない肉体や精神から発せられる声、 これは痛い。 今回みたルパンの声はまさにこういった「痛い声」でした。 今のルパンの声をあてておられる方は、 もともと山田康雄氏の声まねをされていた方なので、 役を引き継いで15年も経つというのに 自分のものにできない(しない)のは やはり『山田氏のルパン』をたてているというか 周囲からの意向もあるのだと推測されますが、 とにかく山田氏に似せる事を意識して 演じているからだろうとも思いました。 しかし、これは本末転倒な考え方です。 真実は、似ているかどうかなんて全く関係ないのです。 魂の演技がおろそかになっていたら役が死ぬのです。 これはこの声優さんの声の問題だけではなく、 多くの人(ファンも制作側も)が 「ルパン三世」というアニメーションを愛するあまり、 山田康雄のルパンを愛するあまり、 いまでもその亡霊をひきずってしまっているように思えます。 もう15年も経つというのに。。 本当に「ルパン三世」という素材で作りたいお話が 現在あるのでしょうか。 本当の意味で魂のこもった物語を 亡霊なんぞにとらわれずに作れなければ アニメなんて物語なんて作る意味が無い。 まるで、愛する国王の遺骸を埋葬せずに馬車にのせて 荒野を一生引きずり回したという狂女フアナ(実在のスペイン王女)みたいです。 昔、ルパンシリーズの映画「カリオストロの城」という名作 (これはシリーズとしてはかなり異色だと思いますが 物語としては上出来だと個人的には思っています) を生み出した宮崎駿氏が、 『本当にルパンが好きならもう作るのをやめるべきだ。』 と、ルパンシリーズ最後の作品というつもりで この『カリオストロの城』を作ったと言います。 確かに。 もしここでルパン三世シリーズが完全に終わっていたら、 発つ鳥跡を濁さず、、だったのかもしれない、などとも思います。 毎年新作が放送されるルパン三世のテレビスペシャル版を見るにつけ、 「ルパン三世」という作品はつらい道のりを選んでしまったなぁ と思わざるおえません。 狂女フアナのように亡霊を引きずって。。 『奴はとんでもないものを盗んでゆきました。 あなたの心です。』 映画「カリオストロの城」の中にでてくる名台詞です。 心を盗まれた多くの人達のその心は今、どこにあるのでしょうか。 山田ルパンは本当にとんでもないものを盗んで逝ってしまいました。 俳優である事に誇りを持ち、その苦しみも豊かさもすべて ルパンというキャラクターに込めて演じ続けた山田康雄さん。 『声優を目指すなら辞めなさい、 でも俳優を目指すのならいいかもね。』 と言って、真の芝居を愛した山田さんには、 とても今の「ルパン三世」はみせられない と思ってしまうのです。 2010年 03月 24日
その1
最近ちょっとした理由があって、 海外旅行で利用する人の目的に合わせて スペイン語の電子辞書を見繕っていたのですが、 機種によって電池持ちがよいとか 電池がすぐ切れるだとかいうお話になって、 そもそも電子辞書自体ダメなんじゃないかという気がしてきました。 紙の辞書なら 電池切れなんて心配は皆無だし 雨にぬれても手が滑って落下させても何の気兼ねも無い。 旅行程度なら一番薄っぺらい西和和西辞典で十分でしょう。 たとえ電子辞書本体がコンパクトでもそれに付随する 充電器や変圧器・変換プラグを持っていく事を思えば 紙の辞書の方が荷物もかさばらないのでは? 発音だってスペイン語って母音使って話すので 日本語とほとんど同じだから、 辞書見ながらのカタカナ読みで十分通じます。 (アンダルシアの方言の発音なんてほんとに日本語的です) こうやっていつもよくよく考えていくうちに いくら最新でも根本的なところで 電化製品の便利さがよくわからない という結論になってしまうのですが。 その2 最近、ある方から、 『世界中どこにいっても英語なら通じるのよ。 通訳とか仕事をするなら英語はまず話せた方が良い。』と 何度もプッシュされて。 (ちなみにその方が話せるのは日本語オンリー) 通訳?はしないと思いますが、 すいぶんスタンスが違うので、 正直私にはあまり参考にならないお話だと思ってしまいました。 (とても立派な方ではあるのですが、、) そりゃあ英語は話せたほうが話せないよりも 良いのかもしれないけど、 もはやそれは私の役割ではないですな。 まぁ、単に今更英語も面倒くさいというのもあります。 英語よりスペイン語歴の方がずっと長いので、 私の場合まずスペイン語が出て来ちゃうんで、 いざという時には通訳雇いますって思っちゃいます。 そんな風にお答えしました。 そもそもスペイン、 観光地以外(いや観光地でも・・)は英語通じないし。 (スペインでは第一外国語はフランス語) 同じヨーロッパで言えば、 ウィーンも好きな都市で(オペラ好きなので・・) 1週間程度の滞在を2度ほど、訪れた事がありますが、 ここも私の中学生レベルの英語もあまり通じなかったな。 冬のオペラシーズンはイタリア人観光客が沢山訪れるので、 英語よりもむしろイタリア語の方が通じる印象があります。 (そもそも多くのオペラがイタリア語だし。。) スペインに程近い北アフリカのモロッコに行った時は 英語はもちろんスペイン語も全く通じませんでした。 (モロッコの母国語はアラビア語。 基本的に上の学校まで通えるわずかの人が第一外国語のフランス語を話す) だからね、『世界中』ってどこの国のことだろう? ごく一部の先進国だけのこと? ごく一部の観光都市だけのこと? ...あんまり興味ないなぁ。 英語が必要な商談というのなら、 今から自分が勉強するよりも、それこそ通訳雇えば良い訳で。 観光旅行ならばともかく、 第一その国(英語圏以外)へ行って、住むにしろ、仕事をするにしろ、 英語だけで通そうとするのって本当にその人は その国に興味を持ってその国の事を知ろうとしているのだろうか? と思ってしまいます。 結局、少しでもその国の「本当」を深く丁寧に知りたいのならば、 たとえ英語が多少通じる国であっても 英語がネイティブの国で無い場合は現地の言葉で話すのが道理であって、 自分が話せない時は、やはり英語ではなく 現地語の通訳という手段を使う訳ですよね。 私が国際文化交流でスペインに滞在していた期間、 英語の通訳ができるスペイン人ひとりが居ましたが、 もし私が最初から英語だけで通そうとしていたら 窯元の人達と今の家族のようなつきあいは できなかったのではないでしょうか。 その3 一度どこかにも書いた事があるお話ですが。 スペイン語の先生が30年近く前、 スペインから日本へ来て間もない時に 日本語で人に道を尋ねたりすると、 聞かれた日本人は必ず、先生の顔を見て (たどたどしくとも)英語で答えて来たと言います。 日本語で訪ねているのに、返って来た英語の答えに 英語がわからない先生は大層困ってしまったとか。 30年くらいまえの日本人ってやっぱりまだまだ 外国人=英語を話すアメリカ人みたいに 潜在的に思っていたのでしょうね。 だから白人の顔をみると その人がスペイン人だとは思いもせずに とっさに英語を話そうとしてしまう。 (相手に合わせているつもりになって英語を話そうとする 心持ちは、なんとも日本人っぽい気がしますが。) で現在、同じように先生が道を聞く機会があると、 返ってくる答えは圧倒的に日本語が多くなったのだとか。 先生いわく、『とても良い事だと思う。』とのこと。 日本人が一般的にいろいろな国の外国人に慣れて来て 白人が必ずしも英語を話す訳ではない、ということが 30年前よりは行き渡った、 ちょっとは外国=アメリカの刷り込みから解放された という事なのでしょうか。 (まぁ、私の母の世代なんかは、 いまだ白人をみると英語で話そうとしますけれどね。) それと、 ここは日本の国なのだからいかな外国の人とて まず日本語を話すのがあたりまえと 少しは日本人も思うようになったのでしょうか。 (日本語を話す外国人もかなり増えましたものね。) 2010年 03月 22日
ラジオで放送されているスタジオジブリのプロデューサーの
鈴木敏夫氏の番組「ジブリ汗まみれ」を PODCASTで過去の放送分すべて遡って一気聞き中。 ものづくりとその周辺の人々のお話が盛りだくさんで、 飾り気のない会話たちが聞いていて非常に気持ちがいい。 もちろんそれぞれのお話に共感するときもあれば、 そうかな?という疑問が浮かぶ事もあるけれど、 いずれもお話のベースに ゆるぎないものづくりに取り組む人々の心意気が流れていて、 そういう意味では私には非常に安心して聞ける番組です。 ものづくりにあたって、 無邪気と真摯。 これ、大事です。 ものづくり顔、したり顔をしながら、 結局のところ何も生みだせない 脆弱・神経症的クリエイター気取り。 もしくはクリエイターに関わるふりをする周辺の同列な人間。 そんなのがずいぶんとこの日本では増えていませんか。 この番組中、鈴木氏のお人柄のおかげでしょうか、 人と人がちゃんとコミュ二ケーションしてる故に、 印象的な発言が数々あるのですけれども、 そのうちのひとつ、 googleジャパンの代表取締役辻野氏がゲストの回の 鈴木氏の言が印象的でした。 鈴木氏が、息子さんが大学生になる時にPCをプレゼントしようとしたら 断られたのだとか。 『PCなんてどこにでもあるじゃん。買ったってすぐ古くなるし。 あちこち世界のどこにいっても新しいPCが使えるじゃん。 だから必要ないよ。』と。 もはや家の中で個人個人がダウンロードして確保するという発想は 次の若い世代では終わりつつあって、 いつでも情報は必要な時に必要な分だけ引き出せばいいもので (その大量の情報を保管し提供するのがgoogleのような機関で) 自分で抱えて持っている必要はない。 消費者は、どんどん新機種のPCをおっかけて買い続ける という発想もやがてなくなる時代になるであろう、というお話。 そこで現在宮崎駿氏が10分程の短編アニメを制作しているのだけれど そのgoogleのようなところから無料配信する、という発想も 今後ありかもしれない、やってみても良いのかもしれない、と 鈴木氏は考えたのだそう。 すでに、映画を作って公開上映、DVD販売、TV放送、という いままでの一連のパターンも崩れてきている。。 新らしい何か秩序をつくる為にどうしたらいいかの試行錯誤は するべきだという考えもある。 無料配信という事は、 世界中の多くの人々に同時に作品を届ける事ができる と言う良い面もあるけれど、 配給の事やスポンサーの事も全てすっとばしてできるというのがまず 一つクリアすべき問題であり、 しかしそれはまだ大した問題ではなく。。 まず、自分たちが作った作品は映画館という環境で観てほしい、 という気持ちがどうしてもあり、 でもそれも、dvdとか発売している訳だから、 いろいろなサイズのTVで見られているということはあるんですが、 結局何より一番の不安は、 「消費されることの恐怖」 これをどう防御したら良いのかがわからない、 とおっしゃっていました。 ものの価格が安くなり、 人々の消費するという感覚はすでに麻痺しており、 また、ものづくりの人たちの中でも 『安くないと売れないから』という理由で 時には自ら、時には強要され クリエイトしたものが当たり前のようにして 単なる消費物と化せる可能性の高い選択を迫られる、 これは私も経験があります。 話を陶芸に置き換えて恐縮ですが、 価格が安ければ多くの人の手に渡るという事なのでしょうが 私の場合は現状のクオリティを落とすつもりはないので まず価格ありきで安いものを売る、という発想は無い、 というスタンスに行き着きました。 これにはひとつのきっかけがあるのですが、 つまり、私も一時期廉価な陶のペンダントを販売していたのですが あるお買い上げくださったお客様に 『もし紐など外れたり壊れたときには修理しますから』と お伝えしたところ、 『どうせこんな安いの直しませんよ。いいですよ。』 と言われたのでした。 ああ、価格を安くするという事はこういうことなんだなぁと 思った出来事でした。 鈴木氏言うところの「消費されることの恐怖」、 この意味はものづくりのはしくれとして非常によくわかります。 誤解をおそれずに書きますと、 昔からよく「大衆に合わせると文化レベルが落ちる」と言います。 なんとかミシュランだとか、 ネットで人気だとか、 安くて沢山だとか、 何何先生のおすすめだとか、 そんな猫も杓子もな消費文化の売り文句ばかりに踊らされていると どんどん文化が疲弊し形骸化して行くって事、 クリエイターなら当然危惧すべきなのでは とも思うのです。 先のラジオ番組では鈴木氏の、 『「消費されることの恐怖」 これをどう防御したら良いのかがわからない』との発言を受けて googleの辻野氏が、 『ジブリのすばらしい作品は アフリカとか世界中のすべての人に一人残らず見てもらわないと もったいないですよね。。』とおっしゃっていたのですが、 私にはその言葉が非常に空虚に聞こえてしまったのでありました。 ま、私も頭の中は頑固職人系なんでしょう、ね。 2010年 03月 03日
先月末までの青山アリヴェパールでののみの市、終了いたしまして、
今月に入ってから搬出に行って参りました。 おこし下さいました方々、 最後のここでの出品をご覧頂きまして、心より感謝致します。 店舗は昨日までで完全撤退との事で、 スタッフの方々は搬出作業に追われておりました。 アリヴェデパールが入っていた、 中庭のあるゆったりとしたショップモール「la place」も、 すでに建造物の取り壊し・解体作業が始っており、 実際に壊され無くなって行く景色を目のあたりするのは、 それも地元に定着する前に次々に無くなって 町の風景が変わって行くのは、 なんともさみしい気持ちにさせられるものでした。 アリヴェデパールの店長さんに伺った所、 この跡地は駐車場になるとのことで、ますます寒い。 そういえば青山は、 あの不思議な緑がうっそうとした同潤会アパートの跡に なんとかヒルズというこれまた魅力のない時代遅れ風で無機質な 食べ物と服屋ばっかりつまったビルが建ったのだった。 近年の銀座にしたって、マツモトキヨシを皮切りに 丸井とかハンズとかユニクロとか家電量販店とか、 残念な事ばかり。 別にもうそんなの増やさなくていいよ。 先日も、 さほど傷んでいない洋服や時計を使い捨てにする人の話なぞを聞いていたので、 今回の「la place」を見ていても、何も傷んでいないのに金銭的都合だけで ポイッと捨てられて壊されて、それが当たり前のようになって、 いつもいつも東京の町はがちゃがちゃゴタゴタではずかしい。 こうやって日本は都心部からどんどん貧しくなって行ってしまうのかしら。 失業率25%〜29%のアンダルシアの人々達が、 東京では考えられない程 ゆったり豊かな心気持ちで暮らしていたのは何故だろう。 独裁政治・内戦と、考えられない程のつらい時期をのりこえてから まだたった30年しか経っていないこの国スペインでは、 本当に大切にしなければならない事を 骨身に染みてよく知っている人がまだ沢山居るからかも知れないけれど。。 お金とかモノとか数字だけじゃ無い大切な事、 日本の国の本当に大事な事、 もうちょっと足元を見て気付いて良いのかも知れません。 ふとある作家仲間の友人の言葉が思い出されました。 『みんな病気だから。』 手遅れになる前に。 2010年 01月 30日
『ティータイムのうつわ展』でご一緒しています
工房くらげのシミズナオコさんと昨日お会いして伺ったのですが、 彼女の友人、ペルーの陶芸家のManenoさんとKyokoさんご夫妻からのお話によると ハイチの地震でペルーも少し揺れたようですが 彼らが住む地区では深刻な被害が出る程ではなかったとのこと。 しかしハイチの現状は相当悲惨なものになっているそうです。 日本では報道規制があるのであまりダイレクトな映像や 直接的な表現は控えられているようではありますが、 それでもニュース報道などによる被災者数からその被害の大きさは伺えます。 日本よりも規制の少ないペルーでのTVニュース報道によると ものすごい数の屍体の山ができており、助かった人たちも劣悪な環境下にあり 心身共に傷を癒せる状況ではないこと。 緊急を要する事項として医療物資が著しく不足していること。 個人的には、せめて早急の募金から 医療費などの足しにしてもらえれば・・と思いました。 ※募金の窓口にはいろいろなものがあります。 今回寄付をされようという方も居られると思います。 ご自身で調べてある程度納得のいく団体からの 送金が望ましいのはもちろんですが、 ご存じの方も多いとは思いますが、 「団体」というものになっているという時点である意味では一長一短です。 けれどそれを持ってしてもやはり寄付なり何なり 少しでも現地に役立つものが届くのであれば 何もしないよりはずっと良いと思っています。常に考えながら。 2010年 01月 28日
ダニエル・キイスのかなり有名な小説なので
ご存じの方も多いかと思います。 (確か映画や舞台などにもなっていたかと思います) いちおうざざっとあらすじの一部を。 IQを上げる手術をうけた実験ネズミのアルジャーノン。 同じ手術をうけた心優しい知的障害の青年。 術後の効果は絶大で、あらゆる方面で天才的才能を見せ始める青年。 青年にその能力がなかった時、 青年は自分より物事を知っている人々をスゴイと思っていた。 手術のおかげでIQが極度に上がり、 いろいろな事が分るようになり、知るようになったとき、 その『自分よりモノを知っている人々』から、 (知的障害者だったときには相手にもされなかった人々から) やっと自分にもいろいろな話をしてもらえると期待していた青年だったのだけれど。 実際に青年がその『自分よりモノを知っている人々』と話をしようとすると、 彼らは見栄や虚勢を張り、一部の事にこだわり、 そして今まで自分達よりもずっと下だと思っていたその青年が、 今や彼らと同レベル、いや彼ら以上に物事について知識があるという事に対して 生意気に思い、嫉妬を感じ、逆に自分のばけの皮がはがれるのを恐れ、 青年を避けるようになる。..(そうして以下物語は展開して行くのですが・・) 青年は非常にがっかりとした気持ちになります。 今や天才になった青年と比べて、 彼らの知識のなさそのものにがっかりした、ということではなく、 彼らのそれを隠そうとする見栄だとか、虚勢だとか、 つまりその人間性にがっかりしたのだと思います。 思うに、こういう事って私達の日常でも起こっています。 人間ってくだらない事にいちいちひっかかります。 あらゆる「道」においてこういう事ってあります。 ・・もう20年以上前に読んだこの小説を思い出したのは、 すこし前になりますがある人と話したから。 もちろん私は天才でも何でもないですが(当たり前だ) 相手の思い込みからなんだか似たようなことが起こったので。 本質的なことを話したくてストレートに投げたものが 相手の煩わしい念い(おもい)で全然違う所へ曲げられてしまう。 知識があるとかないとか、それで話しが通じないという事よりもやはり そういう人だったのかなぁ?と、この小説の青年のような意味で がっかりさせられたのでした。 正直であるとか素直であることのいかに難しいことか。 自分も戒めつつ。 2010年 01月 22日
そういえば以前読んだ
皇居内の賢所にお勤めする内掌典の書かれた本「宮中賢所物語」に 月に一度しか洗髪をしないという事が書かれてありました。(現代のお話です) 内掌典の洗髪の回数が少ないのは(もちろん洗髪について祭祀に関連するような 理由があるとしても私には知るよしもありませんのでここでは上記の本などを 拠り所にして、考え・感じた事を書かせてもらいますが)、 おすべらかしという特別な髪型にしている事もあるのかもしれませんが、 月に一度だけで本当に大丈夫なものなのかな?とも思ったのですけれども、 しかし、内掌典というお役目柄、精神的な浄化がすすんでいる方というのも もちろんですが、身体的にも、同本によると、摂取している食物がそもそも 肉類を口にしないだとか、いわゆる不浄のものというのでしょうか、 身体から余分なものの排出が最小限ですむような食事の取り方を されているようですので、体内循環がよく、しばらく洗髪をしなくらいで すぐににおいや汚れが出たりしないのかも知れません。 そういう意味では髪を洗ってたった1日でよごれたりにおいを感じる事こそ 自らの食生活や体内循環の異常を察知するバロメーターになるのかもしれないなぁ、 などとも思ったりしたのでした。 そんな事を考えていた所、 「洗剤を使わない洗髪について」という下記のページを見付けました。 http://www.wakiga.jpn.org/oldlog2/lg0384.html わきが多汗症研究所という所のQ&Aのページですが、 ちょっと参考になりそうな事が書かれてありました。 一部転載させて頂くと(『』内が転載記事)、 『皮膚の垢を全て洗うという行為は、 むしろ本当の「清潔」とは逆の事態になる可能性もあります。』 『常在菌は、シャワーを浴びるだけで80%近くが、 お風呂に入るだけで90%近くが、さらに洗うことで 95%近くが洗い流されていなくなってしまうと言われています。 しかし、常在菌は人間と共生したいがために、 運良く残ったった5%が必死の思いで1日をかけて 仲間をやっとこさ増やして元の数に戻しているのです。 その上にです。あなたは洗剤を使用して体を洗います。 洗剤は当然ながら洗浄力が強い。洗浄力の強い洗剤でゴシゴシ洗えば、 常在菌は限りなく0%に近くなってしまうでしょう。 そうなるとどうなるか? 今度は黄色ブドウ球菌等のより強い雑菌が繁殖しやすくなるのです。 より強い雑菌とはより強い臭いをつくる菌のことです。 つまり、表皮ブドウ球菌等の常在菌は、より強い臭いをつくる菌が 繁殖しないようにニオイバリアーともなっているのです。 頭も体と同じです。頭皮にも皮脂膜があり常在菌が住み着いています。 それらが、あなの頭のニオイを防いでいるのです。』 等々・・ それからここにも塩で洗うことについて書かれていました。 『粗塩を小さじ1杯〜2杯くらい(多めでもかまいません) 洗面器に入れお湯を加えて「塩入り洗髪水」をあらかじめつくっておきます。 そして、次の順序で洗髪をします。 まず、ぬるめのお湯で垢やホコリや皮脂を落とす目的の洗髪をします。 その後、作っておいた「塩入洗髪水」を頭皮によく浸透するようにかけます。 それで軽く洗ってもよいでしょう。 最後に、やや熱めのお湯でタンパク質を落とす目的の洗髪をします。 このようにすると、垢・ホコリ・皮脂・タンパク質はすべて荒い流されて しかも皮膚面の酸性と常在菌を保つことができるでしょう。』 ふーーん。。そうなのか。 自分にとって疑問に思うことを止めて、 ほんとうに納得できるような気持ちの良い方向にと思ってしていた事が、 こういう裏付けになるような説明を読んでみると、 やはり直感的行動ってやってみるもんだなぁと思いました。 塩は身体を洗う用にしか使っていませんでしたが こんど洗髪にも試してみようかな。 身体の代謝がうまく循環するようなら 今後ごま油での地肌マッサージの回数も減らして良いのかも知れません。 下水にながす事を考えてもきっとその方が良いですよね。 こういう事こそどんどんシンプルに、 そして本質的な意味で豊かになってゆきたいなぁ、、と心から思うのです。 2010年 01月 20日
きのう洗髪の話しを書きましたが、
そういえばスペインに居た時や、 すくなくとも2年前にスペインへ行った時にも、 あちらには「リンス」というものが存在していませんでした。 スーパーやデパートの売り場に無いのです。 シャンプーはあります。 陳列棚の片隅にコンディショナーらしきものは (あまり主流では無いようですが)みかけました。 スペイン人の友人に、シャンプーの後に髪を整えるリンスの存在を聞いてみても そもそもないものなので、まったく意味が通じませんでした。 『髪はシャンプーで洗っておわり。』と言われました。 私自身はもともとリンスを使っていなかったので 『こういう国もあるって事はやっぱりリンスって必要無いんだな〜』 程度にしか思いませんでしたが、 2年前、一緒にスペインに長期滞在した母は、 当たり前と思っていたものが無いので狐につままれたようになり リンスが存在しないという事をまったく理解できなかったようです。 (一応「ちゃんりんしゃん」的なものを発見してそれを使っていたようです。) シャンプーしてリンスしてコンディショナーして・・ それで抜け毛や枝毛やぱさつきがでるからと、また別の商品を塗って・・・。 じつは髪を痛めつけていたように、いまでは思っています。 この話題に関連することですが、 冬になるとやたらと乾燥肌関連の商品のCMをみます。 『乾燥する冬』とはいえ、日本のように水や湿気に恵まれた土地柄で、 砂漠じゃ無いんだからそんなに多くの人が乾燥肌になるのって 何か異常なのでは・・・とちょっと考えてみたことがありました。 自分もここ5、6年くらいの事ですが、 冬になると乾燥肌(?)で腕や脚にかゆみを生じるようになったからです。 これってもしかして加齢に寄るところもあるかもしれないけれど、 それともしかして毎日石鹸で洗うせいもあるかも?と思えて来て、 一時、石鹸のかわりに塩で身体を洗ってみた事がありました。 昔、海外旅行とかに行くと、慣れない土地ということもあり、 いざという時の調味料として 塩を小分けして紙ふきんに包んで持ち歩いていたのですが、 塩ってけっこう油分が含まれているんですよね。 包んでいた紙のふきんにけっこうな量の油が染みてくるんです。 そんな事を思い出しつつ 自然に油分が含まれている塩(といっても普通の瀬戸の粗塩みたいなものです)で、 擦らないようにして(擦ると痛い(^^;)全身をパックするようにして洗ったあとは、 ぽかぽか感があるのと、そして全身のかゆみも見事におさまりました。 塩のおかげなのか、石鹸をやめたからなのかわかりませんが、 今年ももうちょっと調べたり考えながら試してみようと思っています。 < 前のページ次のページ >
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