|
ホームページ MAJO 展示会のお知らせは こちらからどうぞ! こまいぬや MAJOwebショップ 陶芸サークル しゃちほこや 講師をして居ます。 只今メンバー募集中! 100ピープルのページ *本ブログのテキスト、イメージ等の無断転用 ・加工・二次配付はお断りします。 Copyright(c) MAJO 最新のトラックバック
カテゴリ
以前の記事
2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 04月 26日
今回が鹿賀丈史の「ジキル&ハイド」ファイナル公演ということで、観に行って来ました。チケットは半年程前から発売していたので、購入した当節は今現在がこんなにむちゃくちゃに忙しくなっているとは想像するすべもなく。。。
実は前回もむちゃくちゃ忙しい時期に同公演のチケットをとっていたのですが、忙しさにかまけてすっかり忘れてすっぽらかしてしまうという非常に悲しい思いをしましたので、今回はどんなに忙しくともぜったいに悲劇は繰り返すまいと力を入れて観て参りました。 「ジキル&ハイド」じつは初演(2001年)で観ているんです。あの時は曲の美しさと裏腹にめちゃめちゃ暗い内容にただただどよ〜んとした気持ちで帰って来たのでした。そう、このお芝居、けっして好きな話ではないのです。ただ鹿賀丈史が好きなだけなのです。 まず劇場入り口にある時間割り(休憩時間や終演時間が書いてある)をみてふと気づいたのは、上演時間が前に観た時より長くなっているような・・。 それは開演してから納得。私の記憶が正しければ、初演時にくらべると登場人物の心のひだの奥までとても丁寧に描かれ、陰惨なストーリー中心のサスペンスものでは無くなっていたのでした。これは役者さんはもちろんのこと、演出の力も大きいように思いました。 鹿賀丈史がファイナルというのは年齢的な事かな、と思いました。ジキル&ハイドは本来若き青年の役ではないでしょうか。才能ある青年医が、精神病になり拘束服を着せられ牢屋に入れられた父親を見兼ねて、父の心を救う為に「人の精神をコントロールする薬」を作る所から悲劇は始まります。 発明した薬を人体実験として自ら飲んだジキル。 精神をコントロールできるはずが、人の「悪=ハイド」の部分だけが一つの人間性を持つようになってしまう。。自分を苦しめ否定する人間を次々に抹殺してゆくハイド。「ハイド」は自分なのか、いやそうじゃない、と否定しながら苦しむジキル。ハイドの人格がどんどん強くなりジキルにはもうコントロールできなくなったその時、残された道は「自らの死」という名の自由だけだった。おおまかに言うとそんなお話です。 すべてが破滅に向けて構築されて行くストーリー。 分かっているだけに、つかのまの幸福が切ない。 マルシア演じる切ないルーシーが、ジキルとハイドという2人の人間性に翻弄され破滅の道へ歩いて行く。弄ばれて最後には殺害されて。。初演で観た時、初めてミュージカルという世界に入ったというマルシアは水を得た魚のようにきつくまぶしく輝いていたのが、今回の舞台では前に観た時よりも一層可憐な大人の女性として舞台の上で脈打っていました。美しかった。ほんとうに。彼女のルーシーを観ていると「生きがい」とか「人生」とかストーリーの裏側にあるそういった普遍的な問いまで見えてくるような気がします。 鈴木蘭々演じるエマは、もう登場しただけでどきどきするほどの麗人。深い海の貝殻の中で独り熟した大粒の真珠のよう。。その美しさには翳りがあり、その歌声は何ものにも侵されていない無垢さがあり。。エマという役は登場場面や見せ所が少ないのですが、彼女の存在は舞台に出てくるだけで、しんしんと心の奥に忍び込んで来ます。彼女の話す声は、すべてを包み込むような優しさと大らかさがあり、歌声は少年合唱団の声のようにまっすぐで無垢で、だからこそ強い。この舞台の中に唯一癒されるような安心感を与える役だと思ました。そして視線が・・視線の動きが美しい!(オペラグラスは必須です) 余談ですが、なんとなくミュージカル独特の歌い方、島田歌穂のような「切ない系」とでもいうのでしょうか、あれって流行りなんでしょうか。島田歌穂さんの個性としては納得していたけど(好きな女優さんですし)、猫も杓子もアンサンブルでもああいう歌い方をするようになってなんか食傷ぎみです。皆同じで、ある意味単なる技術的な声に聞こえてしまって。。だから余計に今回の全く力まない自然な美しい声をもつエマにとても惹かれるものがあったのかもしれません。 それにしても今日の舞台を観て、日本のミュージカルのレベルって物凄く高くなったなぁ!と思いました(私が言うのも生意気ですが)。隣の席に座っておられた老夫婦が『なんか・・すごい。海外で舞台を観て来たようだ。』と言っていたのをきいて、やっぱりそう思いましたか、と。海外ミュージカルを取り込んで必至に向こうのレベルに追いつこうと技術的鍛練をして、、という「追いつけ」の段階はもはやすでに取り越していて、作品をすっかり魂の中に取り込んで、咀嚼して、花開いた・・今回の舞台を観てそんな風に感じたのでした。 相変わらずストーリーは好きになれなかったけど、客席も巻き込まれてとても熱い舞台、いや劇場全体が熱くなりました。好きな話ではないのに何故だろう?生の人間が持つ圧倒的な力を感じます。 今回は鹿賀丈史のファイナルじゃなかったら観に行かなかったかもしれません。観に行って良かった。あの場に居合わせる事が出来て良かった。やっぱり生の舞台は良いですね。 曖昧な言い方ですが、私にとって観劇は、何かいらないものを消し去り、何か大事なものをくれるように思います。
by MAJO_ceramica
| 2007-04-26 00:43
| 見るもの聞くもの
|
ファン申請 |
||