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2005年 02月 13日
文化村の写真展『地球を生きる子どもたち』にいってきました。(右は写真展より1945年の日本の子供達。)
テーマごとに社会の波にもまれて生きる子供達の写真が展示されていました。戦争、病気、貧困。日常、喜び、微笑み。。 私が一番印象に残ったのは、 東京大空襲で焼けた町、死んだ赤ちゃんを背負う幼い少年が、背中の幼子を荼毘にふすまで直立不動でいたというその姿の写真。こんな小さな身体で死や命を受け止める姿。「こんな小さな身体で」と思うのは勝手なセンチメンタリズムなのかもしれない。この少年の姿勢や怒りも悲しみも超え何か浄化さえ感じるその凛とした瞳は、誰に教えられるものでもなく誰もが持って生まれたものであるはずだから。こういう言い方は僭越になるかもしれないのだけれど・・その少年の姿に現代の人が忘れているかもしれない『死というものに対する日本人の感性』を感じてしまったのです。 そしてもう一枚。終戦後の銀座の乞食の母子の写真。 家もない食べ物もない子どもはその全てを受け入れて屈託なく母の膝の上で笑っている。その笑みにきっと母は救われながら生きているのだろうな・・・と勝手な想像だけれど思わずに居られない。子どもの精神は柔軟で強い。大人になる事って何だろうとつい思わされてしまう一枚でした。 左写真は先日上野駅前で(文中とは関係ないです)。
by MAJO_ceramica
| 2005-02-13 23:33
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