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2009年 02月 04日
6日で上映が終わってしまうので、行くならもう今日しか無い!と思い立って見て来ました。
さしずめ”現代スペイン版ファンタジーホラー”でしょうか。 原題は「孤児院」。主人公の女性が幼い頃に育った孤児院が物語の舞台です。 日本でのタイトルは「永遠のこどもたち」。 「永遠のこどもたち」という台詞も物語中にでてくるので、このタイトル変更はさほど違和感は無いかもです。(洋画ってときどきとんでもないタイトルに変更されてる時がありますものね) 感想は・・・思っていたのとずいぶん違うタイプの映画でした。こういうスピリチュアル系、時代なのでしょうか?苦手です(笑) たぶんこの作品を見た感想って人によって別れそうな気もしました。力作だとは思うけれど、主人公の女性には全く共感できませんでしたし。。いろいろな意味でちょっと気持ち悪かったかも。 主人公ラウラの息子(養子・7才)が行方不明になったところから物語が展開して行くのですが、最初は現実的だったラウラも、だんだんと息子が以前彼女の目には見えない友人たちとよく遊んでいた事を思うようになります。 何故なら彼女自身、息子がいなくなってから、居るはずのない人の気配や物音を聞くようになったからです。 息子を誘拐したのは、何かそういったスピリットなのでは?と思うようになり、スピリチュアルな方向へとハマって行くラウラ。。 あくまでも私の感想ですが、 スピリチュアルもいいけど、シャーロック・ホームズとはいいませんが、現実をちゃんと見極める目を持っていたら息子さんは助かったのかもね?と思ってしまいました。 結局息子は、半年以上経ってから物置き小屋の奥の隠し部屋から遺体で見つかるのですが、そもそもの原因はラウラが、息子が隠し部屋に隠れたのを知らずに、その隠し扉の上に重い荷物を置いてしまったせいで、息子は自力で出られずにひからびて死んでいたのでした。 たぶん息子は隠し部屋で死にものぐるいで壁や扉を叩いたのでしょう。けれどその音は母親にはとどかなかった。いや、音はラウラに聞こえていました。しかしその時の彼女にはその音が現実ではありえない超常的現象のようにしか思えなかったのです。スピリチュアル系な思考になりすぎてしまっていた為、現実的判断ができなくなっていたのでしょう。 目に見えない世界、あるのだろうなとは思います。 でもそれはこの世界の半分だけ。 引っ張られ過ぎたら危険です。 ラウラはひっぱられました。 物語の最後、彼女は死なせてしまった息子を腕に抱いて、薬を飲んで自殺します。 そしてあちらの世界で目をさますと、孤児院時代の友達がみんなやってきて『ラウラだ!ラウラだけ年をとったね、(ピーターパンの)ウエンディみたいだね!』。ここでは息子も蘇り、ラウラはやっと明るい笑顔を取り戻したのでした。 一方現実の世界ではラウラの旦那さんが、ラウラと息子、そして供養されず死体を遺棄された5人の孤児院の子供達のお墓参りをしていました。 (死者達は全員供養されたという事が分かったという意味では、この最後のシーンはこの映画の中で唯一の救いだったかも) 要点だけ取り出して、何の色気も無くざっくりとした感想を書きましたが、 他にも息子が友達だと言っていた子供らの霊は、実はこの孤児院で昔殺され遺棄された5人の子供達(孤児院時代のラウラの友達)の霊だったというエピソードや、霊媒師なんかも登場するのですが、霊というものを描くのにしては、いずれもあまり良い感じのしないお話だなぁ、、と思ってしまいました。なるべくなら見たく無かった、というか。 ラウラも、うーん、息子を死なせた償いの自殺というよりも、自分が息子と一緒に居たいから自殺(=自分が息子を死なせたと言う現実からの逃避)、という方が強く感じられて、なんていうのか、突き詰めると結局エゴなのでは?と思ってしまいました。 孤児院育ちのラウラは自分の肉親というものを知りません。 養父母にはおそらく可愛がられたのでしょう。だからこそ養子である自分の息子に対して業(ごう。おそらく愛ではなく深い業)があるのかも知れません。。 業にふりまわされたラウラの人生。 自分が育った孤児院を買い取り養護施設を経営しようと思ったのも彼女の業でしょう。 ナチュラルに生きることを許してくれない彼女の深い業は、いなくなった息子へのあまり普通で無いアプローチ、異なる意見を述べる彼女の旦那さんへの無理解、そして彼女の自殺へと繋がって行きます。彼女の根源的な問題は全く解決しないままで。 人間の魂を浄化し高めるというのは、どんなに大切で、また大変な事か。 何度生まれ変わっても、何度死んだとしても、どれだけの螺旋階段を上る事ができるのか。。そんな事を思いました。 好きか嫌いかは別として、このお話はすごくつくりこんでいるなぁ、と思わされました。ハリウッド系のホラーものとは全然スタンスが違うのも面白い。ただびっくりさせるだけって言うのじゃ無い、それが目的じゃないんですよね。すぐには何だか分からないじわじわくる恐さというか。 ただはっきり言えるのは、「死」というものの扱いが、 ガルシア・ロルカの言う「死」(昨日のおぼえがきに書いたような)と、 この映画の「死」ではまったくその質が違うと言う事。 死の行き着く場所が全く違うだろう、という事。 同じスペインでも全然違うんだなぁ、、と感じました。 個人的には、この映画の表わしている「死」には最後の最後まで気持ち悪さしか残らず、ロルカの表わす「死」には根源的に惹かれるものがあります。 舞台はアストゥリアス地方のお話のようでしたが、スペイン語はとても聞き取りやすく、すべて普段よく使う日常会話ばかりだったのでよく分かり、ひとまずホッ。 映画の中でおもしろかったのは「だるまさんがころんだ」。 子供達の遊びなのですが、あるんですねスペインにも。 『ウノ・ドス・トレス! トカ・ラ・パレッ!(1、2、3! 壁を叩け!)』と言ってました。ラウラの息子が閉じ込められた時に死にものぐるいで叩いただろう壁、それにも掛けているのでしょう。
by majo_ceramica
| 2009-02-04 18:05
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